鎌田哲哉/「ドストエフスキー・ノート」の諸問題(続)(抄)

 明らかに、小林秀雄は二つの経験が生んだ認識を、極度に緊密な共存=「出会い」の中で分析したいのだ。だが他方で、この「形象化を迫る主題」とは何か、それはどのように互いを統合し見通しうる「転回点」へと変えるのか。ノートは永久にそれを語れない。小林は究極的にこう自問するだけだ、「彼の文学について考え始めたごく早い時期から私の抱いているこの考え、というより一種の感触(「感触」が小林のノートの決定的な個所で用いられていることに注意、我々は前回それを考察している――鎌田)を、私は未だにはっきり言う事が出来ない様である」と。だが、果たして十分な時間があれば、それをはっきり言うことが小林にはできたのか。「はっきり言う事ができない」ことが直ちに彼の認識の曖昧さを意味してしまうのか。そうではないのだ。ドストエフスキーについての小林の認識はここでも自己言及にみえる、「彼は、其処に何か根源的な視点の存する事を疑わなかったが、そういう自覚或は意識からは、合理的などの様な倫理学も認識論も生れ得ないという事も疑えなかった。彼に力が足りないのではない、それは本質的なパラドックスであり、心中にこれを抱く孤立者の苦痛だけを糧として生きている、という事が彼にはよく解っていた」(三節、二八六頁)。
 「視点」はある、小林がラスコーリニコフの荒廃を「見る」ときのように。だが、それは「パラドックスを回避するもの」、つまり一方の経験が他方を目的論的に従属させるか、因果関係に置くタイプのものであってはならない。繰り返すが、「見る」ことは「知る」ことではなく、それは「出会い」を概念に解消することができない。小林は偽の視点、たとえば「練兵場の経験」を宗教的な回心の起動的前提とみなすような解釈を徹底的に排除する、「聖書は、ドストエフスキイの問いに、本当のところ、どんな答えを齎したか。初めから、私は、そんな事を言おうとは少しも考えてはいない。そんな冒険は滑稽である。私の推察は、ただ、ドストエフスキイが、言わば、聖書から何を読み取らなかったかと言う問題のうちをうろついて、言葉を求めているようなものだ」(三節、二八八頁)。
 この時、ノートを強いる両立し難い要請は、次のように要約できるはずだ。A)分析のそれぞれの項が互いに「出会い」としての関係を結びながら、B)同時に項としての外在性を維持する記述――すなわち、分裂としての関係/関係としての分裂を可能にする記述を作り出すこと、と。諸項間を支配する原理が、継起や止揚ではなく、分裂的な共存として現れるのもそのためだ。この種のテクストから、我々は伝達内容を決して直接的に受けとることはできない。あるメッセージとそれに後続するものとのいずれが図か地かを、客観的には識別できない。むしろその読みを通じて我々を「読む」のは、小林のノートの側なのだ。
 我々の考えでは、この記述の分裂こそ小林の「ノート」の固有の性格であり、それが同時に小林についての言説を二つに裂く根拠になるのである。江藤以下の考察が抹消してしまうのは、小林がバフチンのように対象的につかむだけでなく、記述を通じて実践的に苦しんだ「ノート」という言葉への問いである。にもかかわらず、それらが今なお小林についての支配的な言説となりえているとしたら、それは小林が古びたからではなく、逆に我々の方が小林の思考の強度に耐え切れず後退したからだ。――だが、もし「白痴についてU」にドストエフスキーについての小林の思考の絶頂が存在し、それが書くこと=実験の反復によって可能になったのだとしたら、記述を貫く言葉のジグザグを措いて、我々は一体何から考え始めるべきなのか。