西部忠/社会企業家オーウェン(抄)

 オーウェンは、自己の経験から抽出された原理が自らに強制されたものであり、それに服従する義務があることを常に自覚していた。その意味で、それは超越論的な場所から来るものだ。例えば、次のようなエピソードにはオーウェンのそのような傾向が表れている。
 オーウェンは子供の頃いつも朝食に食べるフラムマリがお気に入りだった。フラムマリとは、オートミールのように熱してミルクを加えて食べるウェールズ地方特有の食べ物である。5歳のある朝、何でも一番になりたがるオーウェン少年は学校から一目散に駆けて帰ってきた。そして、一番に学校へ引き返せるように、湯気が立っていないフラムマリを急いで一口掻き込んだ。しかし、表面は薄い膜が張っていて冷めているように見えたものの、その内部はものすごく熱かった。彼は胃の中をやけどして、しばらく気を失ってしまった。そのため、オーウェンは、食物は最も簡単なものか、一度にごく少量しか消化できなくなったというのである。彼はこの事件の影響についてこう述懐する。

「これは種類の異なった食物が、一変した自分の身体に及ぼす諸効果を私に怠らず注意せしめ、そして精密に観察し、始終ものを考える習慣を私に与えた。そこで私はいつもおもってきた、この事件こそは私の性格を形成するに至大な影響を与えたものであった、と」(『オーウェン自叙伝』、岩波文庫、一五〜一六)
「過去をふりかえって私の生活を多くの他の人たちのと比べる時、何らか自分に都合にいい特異性があるのは、ちいさい時分の煮えくりかえるフラムマリの一さじで死にかかった時生じた諸結果によるのだと思っている。あの時から消化力もすっかり弱った自分の身体に、種々の食物がひきおこす諸効果を、常に注意するようにさせられたからだ。私は飲食も同い年の他の子供たちと同じようにはできなかった。だからある点については、節制に関しては、隠遁者の生活を余儀なくされた」(同、一八)

 子供がこの程度の災禍に見舞われるのはそう珍しいことではないし、このために生じたという消化力の衰えが彼がいうほど深刻なものだったのかどうかも疑わしい。にもかかわらず、オーウェンが自叙伝を書いた最晩年まで、この幼児期の事件を鮮明に記憶していること、そして、それが「私の性格を形成するに至大な影響を与えた」と強く認識していることは「特異」である。ここで、勝ち気でせっかちな子供が受けたしっぺ返しが胃に負ったやけどであったことは象徴的だ。子供にとって最大の欲望たる食欲のための「道具」の損傷は、身体の<欲望=欠如>を自覚させるとともに、その満足を断念させる。また、胃の中のやけどは、目で見ることも、手で触れることもできない。食物の消化のたびごとに、そのの温度、刺激、大きさ、固さなどの諸性質を胃の内部で感知するしかない。胃は、トポロジカルには外部であるが身体感覚的には内部であるような「境界」であるから、それは外的事物の内部感覚への越境的な「効果」を注視・観察することを強いる。そして、このような節制と内部感覚の精査は自ずと思考の習慣をもたらす。だが、この思考は「我思うゆえに我在り」といった内省や自己意識ではない。それは、自己だけは疑いえないという自己の確実さへといたる懐疑ではなく、「やけど」という自己欠損から強いられた観察と思考にほかならない。「精密に観察し、始終ものを考える習慣」は外部から暴力的に与えられ、それが自己の性格として凝固していく、この性格形成過程の原初的な精査が彼の原理を構成しているのだ。
 オーウェンにとって「原理」とは、自己の肉体の異和を対象化する時に生じた「核」である。胃の中のやけど、つまり、自己の内部に生じた外部が彼に感じさせ、考えさせ、記憶させる。「人間は自己の性格を自分で決定することはできない、だから自己責任を持つことはできない」とする、彼の唯物論的な性格形成原理は、このような始原における受難と強制、節制と観察からもたらされ、思考と記憶の中で絶えず反芻され、彼の生涯の経験をつうじて自己強化されるとともに、彼の判断と運動を貫いていくものである。