「重力02」刊行記念ライブトーク/1968年の「重力」(2)
井土 いくつか問題が出て、とりわけ「重力」内部の問題、特に雑誌の作り方の問題が大きかったという意見が出ました。しかし大杉さんは、「重力」は雑誌の棚じゃなくて単行本の棚に置かれてると。あるいは大澤さんが最初に文芸誌の新人賞の問題について触れていたけど、もともと「重力01」というのは文芸誌からの自立というようなことを鎌田さんや大杉さんは言ってたと思う。そのへん、さん、いわゆる雑誌の公共性みたいなことを現在の文芸誌の問題とからめて言っていただけますか?
いやまあ、理想的な雑誌ってのは、何が理想なのかよくわからないですが……。いま井土さんからお話があったように、文芸誌が云々という話は当然、前提としてあった。それは「web重力」で僕が書いたことで、あの文章は非常に大杉さんに評判が悪くて、後から批判が出ると思うんですけれども、お読みになった方には申し訳ないですが、ちょっと繰り返します。
「群像」2月号に加藤典洋という人の「『海辺のカフカ』と『換喩的な世界』」という、長大190枚の論文が載っていて、そこでキー概念になる換喩の説明をしている。それによると、「ライオン歯磨き」というのがありまして、その場合、「ライオン」というのが「歯磨き」の換喩だと言われている。
もちろん、「ライオン」は「歯磨き」の換喩じゃないですよね。高校生でもわかることだと思うんですけど、そういうのを大前提にして190枚も書いた論文が載って、それでまた、これをいいという奴が結構いっぱいいるみたいなんですね、アホな詩人とか新聞記者とか。文芸誌的な世界ってのはどうしようもなくなっていることの端的な象徴だと……まあ他に幾らでも挙げられると思いますが。まさにそれは公共性を喪失してるということですよ。ライオンが歯磨きの換喩だなどということが堂々と通
ってて、それが画期的な論文だなどと新聞の文化欄なんかでも言われてるらしくて、こういう素晴らしい論文が載ったことが80年代的なポストモダンが終焉した証拠であるというふうなアホな、何のことやら全く訳のわからないことが世間に通
ってる感じになってきちゃってるわけです。
これは如何ともし難い事態になってるわけで、「02」の座談会の中でも言いましたけど、ここに井土さんなど映画関係の方もいらっしゃるけれど、60年代に五社体制とか、撮影所システムが崩壊しますよね。それとほとんど同じ、いやもっとひどいことが、今文学に起こっているんじゃないか。
その後、映画の世界というのは五社的なものから変わってきている。いわゆる独立プロとかいったものになってきてるわけですが、ほぼそれと同じような事態が文学にも、文学だけじゃないと思うんですけど、起こっている。もっと言えば大学ですよ。大学は68年に解体したと僕は思いますけども、そういう、旧来のある種のアンシャン・レジーム的なものが解体してきている中で、いろいろ試みをせざるを得ないわけですよね。その一つとして「重力」が、理想的かどうかということは別
だし、世代的な問題もあって、僕は「02」との関わりだけで終りますけれど、「重力」だけじゃなく様々な試みがあって当然だし、それは色々な人がやるべきじゃないかなと僕は思ってます。そういう意味では、お通
夜みたいになるよりは(笑)、止めるのも結構ですけど、他にまあ色々なことをやればいいんじゃないかなというふうに思いますけれども。
鎌田 そういう言い方をしてほしいですよね。
大杉 僕はお通夜でも何でも構わない。別に人の気持ちを浮き立たせるために批評をやってるんじゃないので。
鎌田 正直すぎるんだよ(笑)。
大杉 というか、そういう意味では結構うんざりしてる。だから、「知の不良債権」(「早稲田文学」二○○一・一)とか書きましたが、もう80年代的な批評家たちというか、そういう人たちはどうにかなってほしいと僕は思ってるんですよ。スガさんもその中に入ってる。さんは文芸雑誌の、言葉が届かないという問題も人ごとのように言ってますけども、さん自身の責任はあると思いますね。
たとえばさんの言葉が加藤典洋とかに届かないというのは、加藤典洋の側だけに責任があるんじゃなくて、さんの言葉自体の中に、わざと届かないように言ってるところが相当あると思う。それはさん、僕に個人的にそういうことを言ってましたよね。小森陽一が盗作したという問題も、さんは盛んに言うわけですが……。
書いたのは1回か2回でしょう。
大杉 僕に対してはもっと言ってる(笑)。でも、そういうふうに言ってしまえば小森はビビッて反論しなくなるだろうから、やっぱり反論させないためにわざと言ってるんだってさんは言うわけですよね。だから、相手が議論しないのが悪いと言いながら、結局は相手に議論をさせないようなメッセージを発してるんじゃないか。それってやっぱり、ある意味で非常に68年的なものだと思うんですね。教室とかに行って授業をつぶすような。
恫喝すると。
大杉 そうそう。あるいは「朝まで生テレビ」で大島渚なんかが喚くのと同じようなもので、要するに理性を超えた何かを「享楽」として提示する。そうするとみんな喜ぶ。まあプロレスですよ。それが68年は真剣だったんだろうけど、80年代は全部商業化するわけですよね。そういうところから浅田〔彰〕とか、大塚英志とかいう人たちが、まあだんだん支持者を減らしながら長く細く生きていくという状況になっていくわけで。それに対して僕は、如何ともし難いのはよく解ってるんですが、でも最低、あんまり自己欺瞞はしたくないという気持ちはあるわけです。
だから今、文芸雑誌のことを言われましたけれども、例えば批評空間ウェブ〔WEB
CRITIQUE〕だって、去年6月に漱石について論争したとき、結局「批評空間」がなくなって立ち消えになりましたが、「批評空間」編集部から色々干渉があって、論争をとにかく無理やり止めさせようという動きがあったわけですよね。それは結局、柄谷行人が陰で糸を引いていたわけで、その点で非常に僕は柄谷さんを許せないんですけれども。
まあとにかく、「群像」とか「新潮」とか、文芸雑誌だけの問題ではないってことです。やっぱりさんも、言葉を通
じなくさせるような、五社体制の崩壊ですか、そういうものに対して責任はあると思うんですが。
鎌田 でも大杉さんは「重力」には、まあ五社体制ないし文芸雑誌体制のみならず、「批評空間」的な体制があるとして、それに対するオルタナティブを提起するきっかけすらないと思ってるわけ? 俺はあると思ってる。
大杉 僕もないとは思ってませんよ。これまで「重力」をやって来たんだから。
鎌田 「重力」ウェブは「批評空間」ウェブみたいなことには絶対にならないよ。
大杉 それは思う。だから鎌田さんには頑張ってほしいと思うけど(笑)。
鎌田 そうじゃなくてさ、みんなが頑張ってるからじゃないかな。
大杉 鎌田さんと僕が組むこと自体に、何か問題があるような気がやっぱり、ちょっと……
鎌田 それは考えすぎなんじゃないの(笑)。
・・・まあ、もうちょっと考えればいいんじゃないの。しばらくの間。
大杉 でも、元はと言えば鎌田さんの方が、文学的なものは全部切って、社会科学的なもので「重力03」をやりたいと言ってるわけでしょ。分離しようと言い始めたのは鎌田さんの方からですよ。
鎌田 いや、社会科学的なものとは言ってないですよ。僕は社会科学者に何の幻想も抱いてない。物書きが駄 目だからって、学者先生がいいなんて全く思わない。自分で自分のあり方を疑い得る人が最も世界を疑い得るんだ、という原則論に立ってものをやりたいと言ってるだけですよ。さっきの詩人の話は、社会科学者に対しても批評家に対しても、すべてに対して当てはまると思っているんです。それは違うのかな。
大杉 いやそれは、理屈としては正当だと思うが……
鎌田 でね、それは単なる正直ってこととはちょっと違うんだよな。大杉さんはすごい細かいことを色々言うから……。俺が一言言うとさ、何年か前に「批評空間」のシンポジウムで浅田彰が山城むつみと俺の名前だけ挙げて、この前の「重力」のイベントでは自分の名前を出した、とかそういう話はしちゃいかん、絶対。もう絶対そんなことはしちゃいかんよ。
まあ、それは大杉さんのキャラでもあるからなぁ。
鎌田 だってさ、大杉さんその後、大きな仕事したじゃん。「アンチ漱石」とか書いたじゃん。そしたらもう、そこで使用前/使用後ぐらいの切断があるものとしての仕事なんだよ。あるいは、そういう風になってないと仕事したことになんないと思うんだよね。そういうことを俺は……ちょっと関係ないけどね。でもやっぱ何か関係あるんだよ。みんな自分のことしか考えてないんだよ。俺はそんなのいやなんだよ。違うか?
大杉 でもさ。
鎌田 いや、正直だけどね。いま寄生の話とか、するとは俺は思わなかったから(笑)。そんなこと何で言うのかなって……大杉さんにはずるい所が全くなくて、その点はすごいよ。徹底的だとは思うけど。
大杉 でもさ、何が小さくて何が大きいのか僕にはよく分からないんだよね。可能性として言えることは全部言っときたいのが僕の立場なんで、別 に僕は後世に名を残したいとは思ってないし、なんというかな……
鎌田 俺だって思ってないよ(笑)。
大杉 自分が何か失言することによって、自分の作品がどうこうとかさ、傷つくとか、そういう問題はどうでもいいんですよ。「アンチ漱石」だって、浅田について何か僕がまずいことを言ったからといって、それが本になるかならないに何か影響を与えるかといったら、別
にならないでしょ。
まあとにかく、そんなに僕は自分に関心がないんですね、鎌田さんみたいに。だから、あんまカッコつけたくないですよ、そんなふうに。
鎌田 格好つけてそういうこと言うな、って言ってるんじゃないんだ。自然な感情としては俺は格好つけてるよ。鏡を見て、もっと格好よく生まれたかったなとか思って、ぽろっと涙をこぼしてる(笑)。でも物を書くときは別 じゃん。物を書く時に、昔は浅田さんはこう言ってたのに、この前はこう言った、とかいうことをさ、俺は言いたくないんだよ。書くことはそれこそ公共性を生みだすことでしょ。
大杉 どうして浅田さんの問題となるといつもこだわるの。(笑)
鎌田 いや浅田さんのことじゃないんだよ。だってウェブで大杉さんが書いたことはすごく僻みっぽいよ。
大杉 わかったけど、そうだよね、君は重力webでの浅田と僕との論争もどきについても批判的なわけですよね。
鎌田 浅田さんがああいうことをこせこせ言ってくるのもおかしいって、だから(笑)。
大杉 でもあれが結局、論争とか議論というものでないのだとしたら、鎌田さんにとっては論争っていうのは一体なんなわけ。多事争論とか言うけどさ、何が多事争論なわけなんですか。
鎌田 大杉さんがああいう文章を書いたときに陥った状態を覆すものは何か、ってことで意見をやり取りするのが論争だよ。有島の論争で俺が示そうとしたのはそういうことだもん。みんな自分のことしか考えてない。さんにも言えるのは……
大杉 しかし、でも鎌田さんは、今まで一回も論争したことないじゃないですか。青山真治に対してだって、結局一方的な罵倒で終わってるわけで……
鎌田 だって相手が言わないんだもん。
大杉 でも青山は言い返して来ないわけですよね。
鎌田 それは相手の問題で、俺の問題じゃないじゃない。
大杉 やっぱりそれは、さっきのスガさんの問題と同じ問題があると僕は思いますよ。鎌田さんは「自分の排他性を自己批評する装置」、批判者が批判する自分自身を相対化する技術が必要だって、「新現実」で書いてたよね。でも結局、鎌田さん自身がその装置、技術がないってことですよ。
鎌田 でも、相手が言い返してこないことまで僕は責任を取ることはできないよ。むしろ、僕に問題があるのは、手を抜いた時です。大澤さんが言ったことと関係あるけど、「重力01」の編集後記でも、また名前を出して悪いけどさ、僕は市川真人の小説とか全然読んでない段階で、でも見切り発車で「作品全てについて自信があるから読んでくれ」という意味のことを書いた。それが俺を駄 目にしてる、市川さんをも苦しめたとは思うよ(彼は絶対言わないけど)。俺はさ、批評をやる時に、手を抜くことによって物を腐らせてる自分をいま感じてるんだ。
大杉 その手を抜くってのがさ、どういう意味合いなわけ。
鎌田 手を抜くっていうか、たとえばさ、青山さんをやっつけた……やっつけたというか、向こうがどう思ってるか知らないよ、青山さんについて書くでしょう。その時は、福田さんや東さんや、最近柄谷さんについて書いた時と同じで、割と一生懸命書いてるよ。ああいう状態を全てに貫かなきゃいけない、ということだよ。
大杉 だから僕も一生懸命書いてますよ。手を抜いてないってことですよ、浅田さんに対してであっても。違うのこれは?
鎌田 ちょっと違う、何ていうかな。
大杉 どう違うわけですか。
鎌田 書いちゃいけないこと、良心回路が働いたら絶対書かないようなことを書いちゃってたりするんだよ、大杉さんは。
大杉 でも鎌田さんは前に雑談で、良心回路が働いたらかえって、アメリカがイラクを攻撃するみたいに、躊躇なく悪役を殺すから悪いとかって言ってたじゃない。
鎌田 それはキカイダーの話だよ。キカイダーは良心回路が完成しちゃって、ハカイダーとかビジンダーとか全部殺しちゃったんだけど、俺がいま言ってるのは、不完全な良心回路ってことなんですよ〔会場笑〕。まあいいや、そんなことは。いやよくないんだけどな。何か違うんだな。何が違うんだろ。
いまの議論とつながるのかどうかわかんけれども、じゃあ、俺に言われた大杉さんの批判、つまり反論を拒絶してるじゃないかと。しかしさ、俺がこの間ちょっとやったことは、ほとんど反論が不可能なことしか言ってないんだよ。ディアレクティークが可能なものは可能なものでいいと思うけど、――これはほとんど冗談なんだけれども――俺が言ったことはほとんど正し過ぎちゃってて、きっと反論できないだろうが、というだけの話に過ぎないんだよ。対高橋源一郎だろうが、小森陽一であろうが、加藤典洋であろうが、これはしょうがないことで、その水準でしかないんです。
大杉 結局はさんは真理に人を服従させるスターリニストってことですか。
いやそうじゃなくて。いやいや、俺は基本的にスターリニストじゃないと思いますけど、討論が可能なレベルというのはあると思うし、やるべきだと思うけれども、たまたま大杉さんが挙げた例はね、もう不可能なことなんだと、俺は漠然と思っている。
ただね、そういうことがシニシズムを瀰漫(びまん)させてるってことはあると思いますよ。つまりね、皆さんもそう思ってると思うけど、所詮文芸誌なんてろくなものが載ってないんだし、とかね。あるいはこれから応募しようとしてね、あんな奴らが選考委員やってるところに応募してもしょうがねえよなとかね、そういうシニシズムの瀰漫を、まあほんの微かかもしれないけど、俺が助けちゃってるところがあるかもしれない。
だけどさ、それはもうしょうがないことなんじゃないかな。だって詰まんないことやってんだもん、あいつらは。俺は別
にシニシズムがいいなんて全然言ってないですよ、だけど、少なくともそのシニシズムを瀰漫させるような責任の99%はあっちにあるんだから……。俺が黙ってればいいのかもしれない、イヤア実は文壇素晴らしいですよ、とか言ってりゃいいのかもしれないけど……
大杉 その方がむしろいいと思いますよ。
うーん。
大杉 それで文壇が本当に潰れた方が。
いやいや、どっちが潰れるかってことでしょ。
大杉 まあそうかもしれないけど。向こうは結局、制度で守られていますからね……
いやあ素晴らしいですね、なんて言ってる人はいっぱいいるんだから。そういう奴らがろくでもないことをやってるわけだから、いいじゃん、それで。
大杉 それはでもやっぱり、ちょっと違うと思う。
そうかな。
鎌田 僕たちだけ喋ってていいのかな。沖さんとか……。
井土 もうバラバラに議論が進行しているので、発言する人は自分でどんどん発言して下さい。
沖 なんかどんどん話がずれていってるんだけど、さんのさっきの話で言うと、正しすぎて言い返してこないというよりも、何というのかな、核心を突いた批判になってるんですか。
なってないんでしょうね、だから、おそらく。
沖 なんか、文芸版のソーカルみたいな感じで(笑)。
大杉 結局、手続き論で批判してるだけですよ。
そうそうそう。
大杉 今度僕がやった翻訳の問題で言えば、たとえば誤訳を指摘するというよりは、こいつは翻訳権取ってないじゃないかみたいなところで批判するみたいなレベルじゃないですか。これは「翻訳者の資格」で書いたことですが、フーコーが言う「外の思考」とは、究極的な外にあるのは法の言葉であるということであって、六八年的思考はその法の外にでることはできない、むしろ法を倒錯的に肯定することしかできないということでしょう。
そうかなぁ。
沖 でも、それ的なやり方は大杉さんもよく取るでしょう(笑)。
大澤 同じじゃないですか。
大杉 まあそうだけどね(笑)。
鎌田 それはだから・・。
大杉 だけど僕はさんみたいに傲慢にはやってませんよ。
鎌田 いかに謙虚かを競争してもしょうがないんだからさ(笑)。で、ちょっと話を変えると、僕は徹底的に言うのを放棄した時に自分の言葉は腐っていくと思うんですよ。それは福田さんや浅田さんに対してだけじゃなく、若い人に対しても同じです。若い人って言ったら変だけど、たとえば「重力」にメールをよこす人や、NAMのくずどもや、しまいにはしつこくDMをよこす奴らを見ていて、そういう人たちに対しても同じ態度でやっていかないと絶対に駄
目なんだなってことを、色々な機会に思い知らさせるように判ったんですよ。今回書いた有島論はそういうことを書いている。若い人って、若そうに見えて、ものすごく古い。それならこっちも普通
にふるまわないと駄目だと思うんだ。当たり前のことだけど、でもそれができない。性格的な弱点があり、遠慮したり気を使ったり、そうする資格が自分にあるとどうしても勘違いしてしまうんです。
それで、もしかして今後「重力」に投稿したい人がいるかもしれないですが、頼みがある。助け合い庇い合う者の、馴れ合いのような連帯はできない。大澤君みたいにあまりに元気よすぎる必要はないんだけど(笑)、普通
に投稿してほしい。一人でやれる者同士の、ごく当たり前の連合がいいじゃないですか。
投稿する時に、助けてほしい、とか書いちゃだめだ。それは卑怯くさい。道場破りをする気で、これを読めってどかんと投稿してくれた方が、僕にとっては気が楽だ。切羽詰まって助けてくれって書いた人もいるかもしれないけど、ぎりぎりまではお互いの弱みにつけ込むことはすべきじゃないでしょ。そうせざるを得ない時も人間にはあるんだけど、全部を見られないし、逆に僕も見てもらいたくないから。
投稿の宛先は、現時点では大杉さんになってます。ウェブで住所を変更するかもしれないし、大杉さんの所に来た分に関しては、誰か次にやる人に転送して、必ず複数のメンバーがチェックする体制は維持するので、本当に道場破りをやってほしい。でもその時に、「助けて下さい」じゃ俺はだめだと思うんだ。それだけです。ちょっと話が変わったけど。
大澤 僕が考えていることを言わせて下さい。さっきも言った通 り、このメンバーで続けるんだったら辞めようとはずっと思ってたんです。というのは、まず一番問題があると思ったのが、鎌田さんが合評会のときに、下らない作品は没にすればいいって言ったでしょう。
鎌田 うん。
大澤 でも、現実的に無理だと思うんですよ。参加者で10万円払って、共同出資でやってるときに、その人の作品を没にして、手伝わせて10万払わせるというのは無理だと。要するに「重力」では相互批評が成立しないと思ったんですね。結局、どういう基準でメンバーを選んでいるのかもわからないし。雑居性というのか、68年的な「雑」なのかもしれないけど、単に雑居ビルみたいな。実はビルならまだよくて、その中である力関係が働いてるわけです。やっぱり鎌田さんが言ったことに流れて行っちゃう部分もあるし、そういう機会を何回か見たんだけれど。そういう空間で何をやっていても、全然面 白くなかった。もちろん共同作業は面白かったけれども、認識的に面白いものは、喧嘩したときにあったぐらいで。
鎌田 あれが「重力」だろ。沖さんや大澤さんとの喧嘩では僕は遠慮してないと思うよ。内輪の話だけど、ああいう感覚ですよ。
沖 鎌田さんは、自分が手を抜いたときが問題だと言ってるけれども、鎌田さんが、自分は手を抜かないでやっているときのやり方にも、僕は疑問があるんですよ。
鎌田さんは、自分の批評に対して、相手からの反応がないのは相手の責任だと言う。まあ、相手の責任、例えばキャラクターの問題とかも、あるかもしれないけれども。鎌田さんは否定できないぐらい一般
的で抽象度の高い正しさをまず持ち出しておいて、それを相手に適用するじゃないですか。僕はその適用の仕方が、不適当な場合があると思うんですよ。
さっきのブックガイドの件でも、一方で稲川さんや松本さんの詩はいいと言っておいて、でもブックガイドには自己批評の欠如が現れていると言う、それはちょっとおかしいんじゃないか。
鎌田 いや、そんなことはない。僕は松本圭二論を書いてる時に稲川さんの詩も読んで、いわゆる68年を異化する契機がそこにあることを見て取ってるし、それは自分の文章に書いている。だけど、実際にブックガイドをやった時に彼らが陥っていた状態、あるいは僕がさっき言った、いろんな本を忘れてしまった状態、それが本当の意味で68年的なものから切れてるんだろうか、と思ったわけ。これはさんの議論に対しても感じる疑問です。
さんが、いわゆる全共闘的なものを批判することで、むしろ、単にパラバラにぽつんぽつんといるだけの、悪しき意味での「雑」をかえって完成させてるところがあるように思うんですね。さんはもちろんそうでないものを見い出そうとしてるんですけど、何か結局、という感じで、僕はそこに矛盾はないと思う。実際に詩を読んで、一応自分ではあるレベルにおいての評価はしているつもりです。それは福田さんの批評にも、『ユリイカ』や『存在論的、郵便的』についても全部同じ方法でやってるはずなんだ。
でも、同じ姿勢でやったつもりでも、たとえば君達との議論でそれが権力的だって言われたら、俺には何も返す言葉はない。
沖 いや、僕は権力的だから駄目だって言ってるんじゃなくて、手続きが相当省略されてるんではないかと思うんですよ。
鎌田 それが「権力的」ってことじゃないかな。ただね、あれを書いてるときに『斎藤茂吉ノート』を読んでたんですよ。
大澤 それはわかりましたよ。
鎌田 「重力」にも書いたけど、たとえば伊藤左千夫ってのは、正岡子規より年上なんだけどその門下生になる。それから死ぬ 一年前にも、あんな噛みつくような口調で、具体的な証拠を分析的に提示しながら、年少者の茂吉たちと論争をどんどんしていく。まあそんなの、まねたら悲惨なことになるだけかもしれないけど、何というのかな、物真似ってのとは違うレベルで、僕達自身がそういう状態としてあるべきでしょ。それは格好つけてるのか。
大澤 前から聞いてみたかったんだけど、鎌田さんは疑いようのない一つの事実、決定的な間違いという事実から、相手を徹底的に叩いていくでしょ。
鎌田 うん。
大澤 福田和也にしても、東浩紀にしても、ある決定的な間違いを徹底的に叩く。そこまではいいんだけど、その過程で批判が対象自体からどこかずれていくんじゃないですか。そこが相手の喉元に突き刺さっていれば、相手自身からの反論も来るのに、ずれているから別 の何かを叩かれている気になる。ある一つの事実を敷衍してその怒りが伸びていく感じはすごいと思うし、それ自体が一つの作品になってはいるんだけど、それが相手からの反論を許さないような構造になっている。
鎌田 それは僕のせいなのかい。
大澤 いや違います。
鎌田 自分自身で動く気持ちがない人を、周りが動かすことはできないよ。たとえば、俺が何をどう言おうが、椅子から人を立たせられるなんて思ったら思い上がりだよ。言葉の限界ってものがあるじゃないか。だから反論が返ってこなくても、返ってきても、俺は俺の言うべきことを言い続ければそれが一番いいじゃない。違うの?
大澤 それでいいですよ。
鎌田 でもそのやり方において……
大杉 むしろ鎌田さんの問題は、時々配慮をするってことですね。最初から叩きまくればいいのに、最初は非常に優しい言葉をかけたり、フレンドリーに振る舞ったりして、結局最後に、相手の欠点を一年か二年くらいかけて観察し〔会場笑〕、あの時はああしたこうしたとノートかなんかにつけといてさ。
鎌田 つけてないよ(笑)。
大杉 織田信長が佐久間信盛を高野山に追いやったようにね、お前は何年前あんなことをやってただろうみたいな、今まで大目に見て来た分のすべてを利子つきで返済させるような論法で追い詰めていくやり方は問題だと思うんですよ。実際大澤さんに対してね、やっぱり今年、鎌田さんはすごく優しかったと思う。鎌田さんは大澤さんの小説に対してはあんまり批判めいたことを言いませんでしたよね。
鎌田 ぎりぎりまではね。
大杉 大澤さんに対しては結局僕が、最初から専ら批判する役割になった。
鎌田 だから大杉さんの方がその点でははるかに民主的さ。大澤さんに関して言えば、「新現実」に書いた批評は全くよくないね。
大澤 いやそれは自分でもわかっている。
鎌田 俺はああいうものを書く人間ではない。書いた瞬間、自分が全部崩壊すると思って生きてきたんだから。君はこれからもああいう文章を書くのかな。
大澤 それは自分でも考えているんです。
井土 ちょっと内輪っぽい話になってきたので、あの……
鎌田 すみません。でも「新現実」の広告だからいいじゃないですか。「新現実」には俺も書いてるよ、ピース。とか言っちゃって(会場笑)。
井土 一回休憩を入れた方がいいんですよね。
鎌田 あっそうでした。自分で言っといてまた忘れてました。すみません。
(つづく)
(2003年4月6日 青山ブックセンター本店カルチャーサロン青山にて)
(構成:長谷川一郎)