共同討議(1)六八年革命について(抄)

スガ 後で問題になると思うけど、最近はネオリベラリズムの端緒としての八〇年代体験が結構話題になっていて、戦後民主主義を再評価しながら、六八年を否定しようとする傾向がある。アカデミズムに席を置く三〇代のカルチュラル・レフト系の人たちです。例えば鎌田さんも批判しているだめ連などとも僕はつき合いがあるわけですが、彼らはそういったカルチュラル・レフトの近傍にありながらも、ちょっと違っているとは思う。彼らに対して僕もいろいろ批判的なところはあるのですが、彼らが持っているものを半分くらい肯定しているところもあって、やっぱりカルチュラル・レフト的なものではなくむしろだめ連的なルンプロが生産されているなぁ、というニュアンスを、最近改めて確認している。

井土 だめ連の人たちは若いというイメージを持っていたのですが、僕とほぼ同年齢ということを最近知ったんです。法政の学館に一緒にいた黒ヘルで、共通の知り合いもいた。僕らの年代でもああいうかたちで運動を継続している人たちがいたんだ、という驚きがありました。

 六八年の後、主体的にルンプロになった人たちと、だめ連や専門学校生みたいにルンプロになることに直面している人たちとは、問題が違うんじゃないですか。

スガ それは確かに違う問題ですね。山谷や釜ヶ崎に入った人や、東アジア反日武装戦線などのいわゆる第三世界革命論・反日闘争に入った人を僕も多少知っていますが、僕は彼らに対してはずっと批判的なんですね。疚しさからそっちに入っていくような感じが当時からあった。僕が言うルンプロは、そういうニュアンスのルンプロ化とはちょっと違うんです。ルンプロにならなくていいのに敢えて山谷や釜ヶ崎に入っていった人間とは違って、自然過程的にルンプロたらざるを得ない人間が大量にいる。ルンプロになるであろう崖っぷちにいて、その危機感を持ちながら踏みとどまっている、その態度がいいじゃないかと。第三世界論のように、ルンプロそのものを実体化してもしょうがないでしょう。それは、結局、第三世界のナショナリズムはいいんだ、みたいな話にいっちゃう。

大澤 しかし映画でスガさんが対談された人たちはルンプロではありませんね。ルンプロには行かなかったけれども、ある理論的なリミットまで行った人たちをセレクトしている気がします。なぜ彼らを選んだのでしょうか。スガさんが指示したのか、それとも井土さんが主導したのか。現在ルンプロの崖っぷちにいる人を撮る気にはならなかったのかな。

スガ いちおう僕が井土さんたちと話して選んだんですけど、単に一つの時代的な代表をセレクトしただけですよ。

大杉 スガさんが言うルンプロというのは、そのものは触れ得ない存在、要するにカント的な物自体ですよね。スガさんはよくラカン的だと批判されるけど、まさしくその論理でやっている感じがする。

鎌田 そこには疑問がある。スガさんが「ルンプロ」と言う時、それは確かに物自体、という意味なんだけど、現実にも……

スガ 存在すると言えなくもないんだな。

大杉 しかし結局は触れ得ないわけでしょう。なるかもしれないが絶対にならない、ルンプロになったかもしれない幽霊的可能性、というと東浩紀みたいだけど、結局はルンプロにはならない。スガさんですら近畿大に就職したわけで(笑)。

鎌田 いや、僕が言いたいのは、六八年以後のルンプロからだめ連への流れ、というのが、年金をもらって逃げ切りつつある退職したサラリーマン連中と、単に対になっているだけだ、ということです。簡単に言えば、親の年金に子供がたかっているだけで、別に生き死にの問題ではない。産業予備軍か否かの違いなんて、はっきり言って景気循環に規定されているだけでしょう。
 スガさんが考える他者性は、就職した連中にはもちろん見いだせないが、ルンプロにもないものでしょう。だから、スガさんの結論も、七・七が決定的な断絶で他者性が導入されて万歳、ではなくて、それらが再び利益配分に転落した、という話になる。大杉さんの言うように物自体というか、少なくともルンペン・プロレタリアートが何でもいい、という話ではない。

スガ さっき言ったように、山谷や釜ヶ崎に入るかたちで物自体をあまりにも簡単に見出そうとした人たちが、かつていた気がするんです。(それは、現在、ディアスポラや難民を簡単に実体化しちゃうカルチュラル・レフトも同様ですね)。彼らには当時から違和感があったけど、その運動の思想的水準と自分とが関わりないかというとそれもまた違うんだよね。そこはうまく言えないところがある。
 九〇年代半ばあたりに、たまたまキムチョンミの『水平運動史研究』と出会って、『「超」言葉狩り宣言』、『「超」言葉狩り論争』という本を書くことになるわけですが、キムさんから受けた衝撃というのは、そういうことなんです。「批評空間」で「あれは単なるリゴリズムだ」という批判があったけど、僕はいまだにそういう受け止め方を彼女に対してしていない。かといって彼女の言っていることが全面的に正しくて大賛成、と言っているわけではないけれど、しかしキムさんのような存在がいて『水平運動史研究』という本が出てきたこと自体が衝撃だったわけです。津村とキムさんなんて実際は全然関係ないけど、「津村喬からキムチョンミへ」という流れは、僕が考えていることのひとつのリファレンスだった。

鎌田 キムさんは、元号で語るな、考えさせられるな、と執拗に言っていた。

スガ それは七〇年の七・七以降、ずっと言われていることですね。ところが僕なんかは、ある時期それを忘れていた、というかどうでもいいと思っていた。例えば平野謙を参照しながら文芸評論なんかを書いていると、面倒くさいからついつい「昭和十年前後」になってしまう。学界にしても「明治三〇年代研究会」なんてのをカルチュラル・レフトたちがやっているけど、文芸批評においてもその方が便利な文脈があるわけで、ついつい流されてしまう。「西暦か元号か」など相対的な問題ではあるわけですが、キムさんの本によって、七〇年七・七でこの問題が出ていたことを改めて思い出したわけです。

大澤 僕がキムさんとスガさんの対談を読んで心に突き刺さったのは、日本人の国際主義は反日の思想を内包できない限り、ナショナリズムを超えることはできない、という言葉です。これは具体的な指摘だと思う。いまの議論のように気軽に「第三世界」と言ってしまうけど、そういう言葉を言う引き替えとして、反日をいかに自分の中に刻み込んでいくかという自覚の問題がまずあると思う。