杉田俊介/どこにも消えないということ――『こころ』『ノルウェイの森』『コンプレックス・パーソンズ』(前)


 (はじめに)

 ……次のような光景を思い浮かべてみる。
 三人の男女が登場する。三角関係の中で男Bが女との恋愛関係を勝ちとる。敗北した男Aは自殺する。しかしやがて生き残った側の男Bも、自分がかつて死んでいった男Aの絶望を無意識の内に反復しつつあるという事実に気が付く。やがて別 の男Cがあらわれることで、これら全ての過程(制度)がそのまま反復される。この循環が何度も何度も続いていく……。
 以下では、この構造(制度)そのものとその内側から格闘した三つの小説を取り上げる。夏目漱石の『こころ』、村上春樹の『ノルウェイの森』、大澤信亮の『コンプレックス・パーソンズ』(以下『CP』と略記)、である。
 そこで問われるのは、死の反復=転移という制度的な悪循環をいかに断ち切れるか/断ち切れないのか、ということであり、その悪循環の渦中に巻き込まれながら何かを「書く」とはどういうことか、ということになるだろう。

 (1)夏目漱石『こころ』――想像の世界と詩 

 『こころ』は、(1)作者・夏目漱石の『こころ』、(2)語り手「私」の「手記」(上中下)、(3)先生の「遺書」(下)という三層の構造から成っている。
 私たちが『こころ』という作品の謎めいた暗がりにじかに降りて行くためには、この小説の形式的な構造(とその破綻)の問題について考え、具体的に分析してゆく作業を避けては通 れない。
 この手記の書き手である「私(わたくし)」は、書生時代に鎌倉の海水浴場で「先生」と出会い、「懇意」になりその後は度々東京の先生の自宅を訪問するようになる。「私」は先生の中に「先生にだけ」埋め込まれていると思われる何かを看取し、「軽微な失望を繰り返しながら」も先生との関係について「もっと前に進みた」いと願うが、同時に、先生の奥に深い影の気配を感じる。それは先生と「奥さん」の静の間に生じた過去の出来事に関わるらしいが、「奥さん」自身にも原因がよくわからないし、先生も黙して何も語ろうとしない。「先生と知合になってから先生の亡くなるまでに、私は随分色々の問題で先生の思想や情操に触れて見たが、結婚当時の状況に就いては、殆ど何ものも聞き得なかった。私は時によると、それを善意に解釈しても見た。(略)けれども私はただ恋の反面 だけを想像に描き得たに過ぎなかった。先生は美くしい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生に取って見惨なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、先ず自分の生命を破壊してしまった」(上・十二、強調引用者、以下同様)。
 「私」は先生の「こころ」の奥底を知りたいと「真面目に」願い、「真面目に」先生に問い尋ねる。初めの内先生は、若い頃の自分が親戚 の叔父に金銭面で裏切られた経験を語る。「私は他(ひと)に欺むかれたのです。しかも血のつづいた親戚 のものから欺むかれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であったらしい彼等は、父の死ぬ や否や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼等から受けた恥辱と損害を子供の時から今日まで背負わされている。恐らく死ぬ まで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事が出来ないんだから。然し私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以外の事を現に遣っているんだ。私は彼等を憎むばかりじゃない。彼等が代表している人間というものを、一般 に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」(上・三十)。しかしそれだけではない。それだけでは説明のつきかねるどろりとくらいものが先生の中には蟠っている。青年はさらに先生の見えない内奥へ目を凝らし、肉迫する。よろしい、わかった、私の過去を残らずあなたに話して上げましょう、と先生はやがて言う、しかしそれは今すぐではない、「適当の時機」が来たら必ず話します、と。この後大学を卒業した「私」は一端郷里の新潟へ戻る。帰郷中に明治天皇が崩御し、それに伴い元々腎臓を患っていた父親の健康状態も悪化する。親元を離れるに離れられないで居ると、乃木将軍の殉死の記事が新聞に載り、やがて先生から分厚い郵便が届く。父がまさに昏睡状態に陥った時、「私」は列車に飛び乗り、車中で先生の〈手紙=遺書〉を読み始める。
 ここで(「下」に入った時点で)作品の一人称は青年の「私」から先生の「私」へと転換する。手紙の中で先生「私」は青年「私」に向けて書く――「実際ここに貴方という一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただ貴方だけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面 目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云ったから。(略)私の鼓動が停った時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です」(下・二)。
 先述したように叔父の金銭的裏切りにあった「私」は故郷を離れ、東京の伝通院傍にある下宿に入る。そこで下宿を切り盛りする「未亡人=奥さん」の娘に当る「御嬢さん」(のちの静=「奥さん」)と知合い、また同郷の親友のKとも落ち合う。下宿生活を続ける内に「私」/「御嬢さん」/Kの関係は、次第に恋愛の三角関係を形作ってゆく。Kが先にお嬢さんへの恋愛感情を口にし、先生は端的に驚く、「彼の重々しい口から、彼の御嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像して見て下さい。私は彼の魔法棒のために一度化石にされたようなものです。口をもぐもぐさせる働さえ、私にはなくなってしまったのです」、そして「私」はこの刹那、「失策(しま)った」と後悔する、「先を越されたな」と(下・三十六)。そこで「私」は、この致命的な遅れを取り返すために、「策略」を用いてKの精神を追いつめ、また未亡人に取り入って、Kには内密裡に御嬢さんとの結婚を約させる。二人の婚約を知った数日後、Kは自殺する。その場面 は次のように記述される。「私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立に立竦みました。それが疾風の如く私を通 過したあとで、私は又ああ失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫ぬ いて、一瞬間に私の前に横わる全生涯を物凄く照らしました。そうして私はがたがた顫え出したのです」(下・四十八)。
 結婚後二人は下宿を出て「現在の」――つまり、青年「私」が頻繁に訪問した――家へ引越し、幸福な夫婦生活を始めるが、先生は根本的な「黒い影」から逃れられない。「私は妻と顔を合わせているうちに、卒然Kから脅かされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私を何処までも結び付けて離さないようにするのです。妻の何処にも不足を感じない私は、ただこの一点に於て彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐにそれが映ります。映るけれども、理由は解らないのです」「叔父に欺かれた当時の私は、他の頼みにならない事をつくづく感じたには相違ありませんが、他を悪く取るだけであって、自分はまだ確な気がしていました。世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念が何処かにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです」(下・五十二)。
 「私」の内部を決定的な形で荒廃させたもの、影ともつかない影で塗り込めたものは、自分がこの人間と同じ〈悪〉だけは絶対に他人にすまいと誓った叔父と全く同じ悪=「策略」を自分が他人(K)に対して行使してしまったこと、無意識の内に「遣ってしまった」という端的な反復の事実であったと一先ず言える。だがそれだけではない。すなわち「先生」による叔父の人生の反復は、同時に、Kの人生の反復でもあるから。「同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていた所為でもありましょうが、私の観察は寧ろ簡単でしかも直線的でした。Kは正しく恋のために死んだものとすぐ極めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向って見ると、そう容易くは解決が着かないように思われて来ました。現実と思想の衝突、――それでもまだ不十分でした。私は仕舞にKが私のようにたった一人で淋しくて仕方がなくなった結果 、急に所決したのではなかろうかと疑がい出しました。そうして又慄(ぞっ)としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折折風のように私の胸を横過り始めたのです」(下・五十三)。自分の意志の力で反抗するにせよ従属するにせよ、それとは完全に別 個に――無意識=行動の位相で――生じる《悪》が、しかも何度も何度も反復される《悪》が現実にはある。しかもそれは他者との関係の中でウィルス的に転移し、その関係性の渦の中で個体に《孤独》を強いる。この孤独な「寂寞」と鬱々とたたかう日々に耐え続けてきた「私」は、ある夏の日に青年=「私」と出会い、また乃木将軍の殉死を一つの契機として、この長大な遺書を「私」に宛てて書き残すことを最期に、ようやく自決を遂げる。
 しかし、この「慄っとするような」反復(の反復)は、先生の死を以っても完結しない。この小説のほんとうのおそろしさはその先にある。
 渥見秀夫が、明晰なロジックで、『こころ』というテクストの全体が実は「青年の遺書」なのではないか、その可能性は否定できない、と言っている(「村上春樹『蛍』と漱石『こころ』」『愛媛国文研究』一九九二年十二月)。
 先生は青年に向けて、わたしの遺書の内容は「妻が生きている以上は」公開しないでほしい、妻に過去の事実を暴露してしまうから、と念を押した。「私は私の過去を善悪ともに他の参考にする積りです。然し妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何も知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存して置いて遣りたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、凡てを腹の中にしまって置いて下さい」(下・五十六)。にもかかわらず、この『こころ』という手記を書くことで、語り手の青年は、先生の遺書の内容を公の目にさらしている。例えば冒頭の文章はすでに明確に不特定多数の「読者」の存在を念頭に置いている。「私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る配慮というよりも、その方が私に取って自然だからである」(上・一)。
 なぜだろうか。
 漱石研究の世界では周知の事実だが、かつて小森陽一は、語り手の「青年」と奥さん(静)が――手記が書かれている現在時を――共に生きているのではないか、という〈「奥さん」‐と‐共に‐生きること〉説の可能性を提示したことがある(「「こころ」を生成する「心臓」」『成城国文学』一九八五年三月)。結婚している、とまではいわない。どんな形であれ、ふたりは共に生きているのではないか、という。すなわち小森は、『こころ』の《「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いて云った。私は「左右ですな」と答えた。然し私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のない其時の私は、子供をただ蒼蝿いものの様に考えていた。「一人貰って遣ろうか」と先生が云った。「貰ツ子じゃ、ねえあなた」と奥さんは又私の方を向いた》(上・八、強調小森、原文では傍点)という箇所を引用しつつ、《手記執筆時の「私」の自己規定は、今の「私」に「貰ツ子」ではない子供がすでにいることを暗示してもいる》《「私」が選ぶ道はたった一つである。「世の中で頼りにする」たった「一人」の人を失った「奥さん」のもとへ、「孤独」のただ中にある「奥さん」のもとへ、新たな生を共に生きるために急ぐことでしかない》と書く。
 小森の論は、手記執筆時の「私」のありかたを問うことにおいて『こころ』に内在する一つの原理を明晰に浮き上がらせていると言える。重要なことは、ここで、かつての先生‐K‐お嬢さんの三角関係が、先生‐青年‐奥さんの三者の間で構造的に反復されている事実の指摘である。しかし、渥見秀夫はこの小森の論を、『こころ』がはらむ内的必然性に従ってさらに一歩、批判的に突きつめる。――「『不可思議な私』の人である奥さんに接近した自分への絶望の極に、『私』の認めている遺書が、あるいはこの手記なのかもしれない」と。つまり青年もKや先生と同じ道筋を反復しているかもしれないのであり(渥見はこの観点から小森の〈「奥さん」‐と‐共に‐生きること〉説に反駁するのだ)、「『私』には、Kのように先生のように(奥さんとの関係について)絶望できる可能性が十分に残されている」。それゆえ「作者は『私』の今をこれ以上書くことができなかったのではないか」。
 以上の渥見の分析には説得力があり、『こころ』の世界を支配する構造上の必然に照らしても合理的だと思われる。
 青年がなぜ先生の生前の禁止を侵犯してまで自ら手記を書き記し、これを世間に公開したのか。青年が青年の語りの「現在時」の状況を直接には語りえないのは何故か。それは端的に青年が、Kの人生を反復する先生の人生を反復してまもなく死に行こうとしているからではないのか。「「私」が奥さん存命中にもかかわらずこの手記執筆に踏み切ったのは、「私の過去を善悪ともに他の参考に供する積」だった先生のもう一方の意向に応えられる「今が最後の時間」との覚悟があったからではないか」。この限りで『こころ』というテクストは、その全体が、「Kの遺書」を内包する「先生の遺書」を内包する〈遺書〉、つまり、入れ子型構造を持つ語り手の青年の遺書なのかも知れない(むろん、Kの遺書もまた、先行する誰かの遺書を反復しているのだろう……)。
 「下」において青年は、先生の遺書の全文をそのまま――かぎカッコや点を付すという処置だけはほどこしてあるが――「引用」している。しかも『こころ』という手記は、この長大な引用の部分をもって不意に断ち切られる。この小説は、構造の面 では明らかに破綻しているといわざるをえない。この時「私」の「心臓」には、他者について何事かを「書くこと」それ自体への強い異和の感覚が、他者の生を事後的に記述することはゆるされるのか、そこでは何もかもが事実と言葉の間で食い違ってしまう他にない、この食い違いを押しきってまで他者について何かを書く権利が自分にはあるのか、という疑念と痛覚が芽生えなかったろうか。その認識が青年の記述を中途で途絶させ、絶対的な或るものへと捧げられる一種の〈詩〉の水準に封じ込めたのではないだろうか。『こころ』の物語は、不可能性としての他者の〈死〉の体験をいわば超越論化している。生き残っている人間には他者の死の謎はつかめない。死んでいった人間の内面 は絶対にわからない。他者が自死の寸前に自分の全てを書き尽くそうとした〈遺書〉(テクスト)に対しては、私たちはもう、たった一つの文字さえも何かを付け加えることはできない。いな、そうしてはならない。ここには、残された者の魂を限界の位 置で打ちぬく「断念」の強制がある。しかしこの断念は、さらにその先で、次の実行へ帰結してゆく。すなわち、生きている側の人間がそれでもなお死んでいった他者の生を解釈し取り返そうとするならば、その他者の死を直接的に――言葉ではなく実行によって――反復するしかない、と。ここにおいて死の直接的伝達=転移関係は避けられないものとなるだろう。そこに生じるのは、師弟のような垂直的な関係である。作田啓一は「『こころ』は師弟関係を正面 から扱っているという意味で、小説一般の中にあって類例の少ない作品」と言っている(『個人主義の運命』)。しかしそれは単なる師弟関係とも違うもので、青年は先生を、学校で勉強を教わる通 常の教師たちを超える、とりかえのきかない唯一の〈師〉と見なす。「とどのつまりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりも只独りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった」(上・十四)。
 遺書としての手紙の特性は、それ以外の手紙、通常の手紙とは異なっている。それは独特な(行為遂行的な)暴力を帯びるから(原理的にいえば、全ての手紙には、この種の暴力性がごくわずかながらも含まれるだろうが)。
 たとえば大橋洋一は「『こころ』のホモソーシャル」(『漱石研究』6)の中で、ラカンの精神分析理論を援用し、先生の遺書の特性を以下のように分析する。精神分析に携わる分析医を、ラカンは、被分析者から「知を有していると想定される主体」と定義した。分析医は「知」を有し、被分析者は「知」を持たない。この「想定」が、精神分析的な感情転移の関係を成り立たせる条件(場)である。このことを逆から考えれば、治療が完遂されるのは、被分析者が分析医を分析医と判断しなくなったとき、すなわち、両者の師弟関係そのものが解消されたときということになる。とすれば、師弟関係にはもともと奇妙なパラドックスがはらまれている。師弟関係が成り立つのは知の伝授の不可能性においてであり、知の伝授が成り立つのは師弟関係の不可能性においてなのだから。この意味で、師は弟子への知の伝授において死んでいなければならない(師=死、実際先生の遺書は先生の死後にはじめて青年のもとに届く)。すなわち師から弟子へと「知の伝授」を告げる最後の「手紙」は、「師からのラブレター」であると同時に「師の死を告げる手紙あるいは遺書」である以外になく、『こころ』の先生の遺書は、まさにこの意味でのラカン的な手紙に当る。
 この限りで「先生」の遺書は宛先へと「必ず届く手紙」(ラカン)と言える。しかし、大杉重男がデリダの贈物=プレゼント論を参照しながら述べたように(『アンチ漱石』)、遺書‐手紙は、その受け取り手に対し「致命的負債」となることで最悪の心理的抑圧を招く可能性を持つ。大杉の次の漱石批判の言葉は、『こころ』の先生の遺書にかんし最も良く適合する。「プレゼントはそれがプレゼントされた時プレゼントと気付かれてはならない。贈り物には必ずお返しをしなければならないから、物を贈られた時、人は躊躇し、時に受け取りを拒否することになる。だから本当に人にプレゼントするためには、人を不意打ちし、そしてプレゼントと気付いた時には既に返済不能の不良債権となっているように贈らなければならない。(略)愛された者は愛する者に、その代償として全てを捧げなくてはならないが、たとえすべてを捧げたとしても、負債は返済されない。それはほとんど罪と同じものになる」(三)。
 先生の遺書はこの漱石的プレゼントの極限形態としてある。実際、『こころ』というテクストの中で、先生の文章と青年の文章の間には――前者の文末が「です・ます」体で、後者が「た」止め、という違いはあるが――殆ど文体上の違いが見られない(上中の部分は青年の文章で、下の部分は先生の文章)。一人称まで同じ「私」で統一されている。これは端的に、青年が、先生に対して文体の水準にまでシンクロ=感情転移しているからではないか――あるいは、青年はこの手記を書き残すに当って最初に「下」の部分の模写 からはじめたのかもしれない。この先生と青年の関係は、そのまま、漱石と漱石読者の関係とパラレルであるようにも見える。たとえば小森陽一や石原千秋らテクスト論派的漱石研究者による、『こころ』の語り手の「語り」(ナラティヴ)に関する分析、語りを動機付ける見えない原因(言わば対象a)の探究は、この意味で、ラカン派的な精神分析の理論とも相補的な関係にある。「テクスト」への分析はそのテクストへのフェティシズム、むしろテクストの作者(固有名)に対するフェティシズムなしにははじまらない。彼ら漱石研究者たちは、事実、作家漱石の単独的な「心臓の孤独」の有様を、一〇〇年後の現在を生きる自分たちの生の中に転移的‐反復的に受け継ごうとするのだから。小森陽一はそれを既存の血縁関係を超える超越論的な「新たな「血」の関係」、「「心臓」の論理」と呼ぶ。「「私」は「血」の論理を否定したのではない。新たな「血」の「論理」と倫理を生きはじめたのである」(同)。

(つづく)

(すぎた・しゅんすけ……福祉、批評。七五年生)

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