杉田俊介/どこにも消えないということ――『こころ』『ノルウェイの森』『コンプレックス・パーソンズ』(中)


(2)村上春樹『ノルウェイの森』――現実の世界と証言

 『こころ』の物語は現在の私たち(読者)をも巻き込む形で、人々の間に、感情転移的に唯一の〈死〉を感染させ、強迫反復させる。そこでは死は、主観上の解釈を入れることなしにそのままうけいれるほかにない絶対の謎をはらむものとして超越論化される(最後の段階で青年は先生の遺書をそのまま引用するしかない)。
 これに対し、『ノルウェイの森』は、このウィルス的な死の連鎖の構造の中に改めて「生き延びる」という生の原則の導入を試みた。その意味で『ノルウェイの森』は『こころ』の「心臓の論理」の盲点を照射する一つの批評性を備えている。それは何よりも「証言」という言語上の行為に関わる。『ノルウェイの森』の語り手であるワタナベ=「僕」が手を染める試みは、言葉では書き得ない(語りえない)ものがこの世にあることを絶対に認めつつ、なおその先で何事かを証言し続けること、書き続けることである。気質的にはニヒリストのワタナベは、絶望の底の底でそれを「生き延びる」ことの「責任」と言っている。死んだ他者に関する記憶を証言し続けることは、自らもが死の誘惑にどうしようもなく引き寄せられつつなおその場所にとどまって生き延びてゆくことでもある。『こころ』が先生が書き残した「遺書」を中心に組み立てられるのに対し、キズキや直子は、自殺の時遺書に値する文章を何も残していなかったが故に、ワタナベの証言の言葉(手記)=『ノルウェイの森』は、彼自身の記憶、あるいは記憶し得ないものの記憶のあいまいな不確かさを大地として執筆される以外にない。しかしその大地の上に繁茂するのは、どんな樹木の形象なのか。

 語り手のワタナベ(僕)は高校二年の春、同級生のキズキと、その恋人の直子と友人になる。キズキと直子は「ほとんど生まれ落ちた時からの幼なじみ」であり、三人は間もなく親密な「三人だけの小世界」を形成するが、彼/女たちの関係が安定するのは、三人全員が揃った場合に限られ、二人だけの時、また部外者を交え四人になった時は「うまく話をすることができない」。一般 に三角関係は、最後にその三角関係を解除し、これをのりこえること(つまり一人を排除し二人が恋愛を成就すること)を潜在的な目的としている。少なくとも、そういう欲望のないところに「恋愛」は始まらない。とすれば、彼/女たちの関係は、三角関係であるようで実は三角関係的ではないのかも知れない――なぜなら彼/女たちは、むしろその三角関係がこわれずに永続することを無意識の内にのぞんでいるから。複数の論者が、この小説が描くのは一見三角関係のようで実は三角関係ではない、と言っている(加藤典洋/竹田青嗣/三枝和子)。実際『ノルウェイの森』で展開される他者関係は、等しい地平に立って向かい合った人間同士の水平的な他者関係というより、永遠に交わらないまま続いていく並行的な関係に見える。
 しかし三人の関係は、やがて唐突な破局を迎える。ある日キズキは「僕」とビリヤードで四ゲーム勝負し別 れたその夜、自宅のガレージの中で「N360の排気パイプにゴム・ホースをつないで、窓のすきまをガム・テープで目ばりしてからエンジンをふかせ」て自殺を遂げる。彼の自殺には「遺書もなければ思いあたる動機もなかった」(二章)。
 キズキの自殺の後、郷里の神戸を離れて東京の大学へ進学していたワタナベは、約一年ぶりに、中央線の電車の中で、「武蔵野のはずれにある女子大」へ通 学中の直子と偶然再会する。しかし二人の関係は、ぎこちのない微妙な距離の中へと宙吊りにされる。直子とワタナベは、会話の中でキズキの自殺にまつわる過去の出来事に直接触れることを避け(「キズキという名前は殆ど我々の話題にはのぼらなかった」)、ただ東京中を目的も無く只管歩き回り、彷徨する。その際彼女は心の奥底に澱んだ「何か」をワタナベに伝えようと望むが、それを上手く言葉に出来ない。「うまくしゃべることができないの。ここのところずっとそういうのがつづいているのよ。何か言おうとしても、いつも見当ちがいな言葉しか浮かんでこないの。見当ちがいだったり、あるいは全く逆だったりね。それでそれを訂正しようとすると、もっと余計に混乱して見当ちがいになっちゃうの。まるで自分の体がふたつに分かれていてね、追いかけっこをしているみたいなそんな感じなの。まん中にすごく太い柱が建っていてね、そこのまわりをぐるぐるとまわりながら追いかけっこをしているのよ。ちゃんとした言葉というのはいつももう一人の私が抱えていて、こっちの私は絶対にそれに追いつけないの」(二章)。事実、直子のこの説明の言葉自体が「ちゃんとした言葉」たりえないので、ワタナベはこれを「みんな自分を表現しようとして、でも正確に表現できなくてそれでイライラするんだ」と一般 論的に受け止め、直子を心の底から「がっかり」させる。ワタナベは彼女のその内的な衝動を「言葉探し病」と呼ぶが、この安直なレッテル自体が直子の内的な異和それ自体を覆い隠していく。
 この位置から直子は、いっさいの言葉を媒介しないコミュニケーション関係へと憧れるのだけれども、それはワタナベとの会話のない一緒に歩くだけの関係や(北野武の映画を連想させる)、阿美寮での規則正しい平穏な生活の中で擬似的な形で実現される。直子の言葉に対する不信は、そして、彼女が自分のセクシュアルな身体に対して抱く不信とわかちがたく結びついている。言葉と身体の間には厳密なアナロジーがある。
 季節が一めぐりした四月の半ば、二十歳の誕生日の日、直子はアパートでワタナベと身体を交える(三章)。直子はその自殺の直前に、ワタナベとのこのただ一度きりの性交の体験の記憶を、レイコに「ものすごくくわしく」話している(十一章)。初め「彼のが入ってきたとき」「痛くて痛くてもうどうしていいかよくわかんないくらい」だったが、いったん「体にあたたかみが戻って」来ると、直子は「本当に素晴らしい」「頭の中がとろけちゃいそうなくらい」の純粋な享楽を味わう。「このまま、この人に抱かれたまま、一生これやってたいと思ったくらいよ。本当にそう思ったのよ」。それが何故なのかはわからない。しかし直子においてその恩寵的な性交の瞬間は反復しえない一回的な「超越体験」(竹田青嗣)であり、「それは二度と戻ってこないのよ。何かの加減で一生に一度だけ起ったことなの。そのあとも前も、私何も感じないのよ。やりたいと思ったこともないし、濡れたこともないのよ」。直子のゼロ度の身体、その身体の無感覚は、何より、享楽の体験を反復し持続することを彼女に許さない。直子において性交の経験とは他者の根源的侵入を受け容れること、その他者の侵入の苦痛と共に齎される恩寵に似た享楽をクリティカルな場所で享受することだったが、彼女はその可能性を「私はただもう誰にも私の中に入ってほしくないだけなの。もう誰にも乱されたくないだけなの」と厳密に封じ込め、ただひとり、「完全な」死の世界へと赴く。
 この場合『ノルウェイの森』の物語においては「手紙」を書き続けること、それを他者と交換し続けるという行為は、自分達の《消滅》の危うさに対して日常の中で抵抗するための終りのない諸過程のことなのだった。直子において手紙を読むこと‐書くことは、自分が生き延びてゆく(survive)ことと等価とされる。「淋しいというのは本当に辛いものです。私が淋しがっていると、夜の闇の中からいろんな人が話しかけてきます。夜の樹々が風でさわさわと鳴るように、いろんな人が私に向って話しかけてくるのです。キズキ君やお姉さんと、そんな風にしてよくお話をします。あの人たちもやはり淋しがって、話し相手を求めているのです。/ときどきそんな淋しくて辛い夜に、あなたの手紙を読みかえします。外から入ってくる多くのものは私の頭を混乱させますが、ワタナベ君の書いてきてくれるあなたのまわりの世界の出来事は私をホッとさせてくれます。(略)私もなるべく暇をみつけては手紙を書くように心懸けてはいるのですが、便箋を前にするといつもいつも私の気持は沈みこんでしまいます。この手紙も力をふりしぼって書いています。手紙を書かなくちゃいけないとレイコさんに叱られたからです。でも誤解しないで下さい。私はワタナベ君に対して話したいことや伝えたいことがいっぱいあるのです。ただそれをうまく文章にすることができないのです。だから私は手紙を書くのが辛いのです」(九章)。ここにはある種の人々の生存を最期まで呪い続ける痛みの切実さがある。しかし、手紙を読むこと‐書くことと生き延びてゆくことが過不足なく等価なものであらざるをえなかったという事実が、直子の生の儚さや薄っぺらさを強いていたとも取れるから、ことは簡単とはいえない。
 ワタナベは直子の死後「考えてみれば我々は最初から生死の境目で結びつきあっていたんです」と語った(十一章)。この「結びつき」には物質上の根拠がある。すなわち『ノルウェイの森』の物語の時空間を飛び交う「手紙」は、生の世界と死の世界を相互に往復し、二つの世界を媒介するための特殊なメディア(蝶番)の役割を果 たしている。それは生と死とを切断すると同時に再結合する――この過程はしかもくりかえし日常の中で反復される。たとえばフロイトは、従来の快‐不快原則に対する修正を迫られた論考『快感原則の彼岸』(一九二〇年)の中で、生後一年六ヵ月の幼児のフォルト・ダー(いないいないばあ)遊び――「姿を消すことと姿を現すことで成立する一組の遊戯」――などを観察した結果 、人間の内部に、生ではなく〈死〉(不死)を志向し続けるいわば超越論的な欲動がひそんでいる可能性を洞察した。それは端的に「死の欲動」と呼ばれる。フロイトのこの仮説に倣えば、『ノルウェイの森』での、ワタナベと直子の手紙が返ってくる/手紙が返ってこない(消滅する)という持続的なやり取りは、「姿を消すこと」と「姿を現すこと」の間でクリティカルに反復される、超越論的な往復運動のようなものだったのかも知れない。手紙は関係のための一手段ではなくて、二人の間の「関係」自体を形式的に限界付ける。実際ワタナベの側には、直子に対して手紙以外の連絡手段が存在しない(緑とは電話を介してつながりうる)。この場所では彼/女らの関係自体が、生と死のあわいで明滅し、クリティカルに揺れ動き続ける。
 ワタナベは永沢さんの元恋人ハツミさんの後年の自死について「ハツミさんは――多くの僕の知りあいがそうしたように――人生のある段階が来ると、ふと思いついたみたいに自らの生命を絶った」(八章)と記しているが、その「多くの僕の知りあい」の中でも最も大切な女性のひとり直子は、一九七〇年の八月に、文字通 り「ふと思いついたみたいに自らの生命を絶」つ。彼女を生き延びさせようとする「僕」の意志や努力とは最後にはかかわりなく、直子は、結局、あの「死んだ人たちの力」への畏怖と誘惑の力に抗し切れずに、自ら死を選び、きえていく。過去にキズキが自殺したときも「遺書もなければ思いあたる動機もなかった」が、直子も同じく、生者たちへ宛てる遺書を残すこともなく「彼女自身の心みたいに暗い森の奥で」ただ独り縊死する。直子は、その自殺の直前にレイコの眼の前で「日記がわりにしていたノートだとか手紙」を「庭のドラム缶 に入れて」、全て焼却し始末する(十一章)。彼女はただたんに死ぬ。そして直子の死は、「その直前まで自殺するような素振りはなくて、遺書もなくて」十七歳のときに自殺した直子の姉、あるいは、十七から二十一歳までの間自宅に引きこもった末ある日突然電車へ飛び込んだ直子の父の弟(直子の叔父に当る)の自殺の強迫反復でもある。
 すなわち直子は、夏目漱石の『こころ』の先生のように他者(青年)へと長大な手紙=遺書を残し「明治の精神」に対する「殉死」という大義名分の下に自決してゆくのではなく、また「朱色の塗料で頭と顔をぬ りつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ」縊死した大江健三郎の『万延元年のフットボール』(一九六七年)の蜜三郎の「友人」のように身体へトリックスター的な過剰な装飾を施すこともなく、いかなる意味や名目とも無縁の場所で、「彼女自身の心みたいに暗い森の奥で」、ただひとり、ただたんに縊死してゆく。私は直子の死のありようをうまく言い表す言葉をしらない。安易に語りうる事柄でもない。何かをわかったつもりになってはならないからだ。彼女においてエクリチュール(文)の喪失とは、他者のどんな意味付けも拒む死、空虚でさえない死、身体の零度の死、哲学者のジャック・デリダがいう「絶対的喪失、救いもなく、また反復もない消失」(『滞留』)を意味したのだろうか。いやこれも私にはよくわからないのだ。
 エクリチュール(書かれたもの)の焼失、というテーマは、村上の小説において一貫している。
 たとえば『羊をめぐる冒険』(一九八二年)では、語り手の離婚した妻は、初潮以後の自分の生理とセックスに関して大学ノート八冊分の「正確な記録」をつけていたが、「誰にもそれを見せなかった」し、夫には何度も「もし私が死んだらあのノートは燃やして。石油をたっぷりかけて完全に焼いてから、土に埋めて。一字でも見たら絶対に許さないわよ」と念を押していた(7章-1)。また『海辺のカフカ』(二〇〇二年)の佐伯さんは、自分の人生を辿りなおすためにこれまで長い間書き続けてきた原稿を収める「三冊のファイル」をナカタさんへ託し、これを完全に焼いてほしい、と依頼する。「私はすべてを書き終えました。こんなものは私にはもう必要ではありません。またほかの誰かにも読まれたくはありません。もし誰かの目に触れたら、また新たに何かを損なってしまうことになるかもしれません、ですから、これらを完全に焼き捨てていただきたいのです。あとかたも残らないように」(42章)。
 直子が自殺の直前に日記やノートを全て焼却してしまった以上、ワタナベは、彼女に関するじぶんの経験的記憶を辿ること、あるいは生前に受け取った彼女の手紙を「引用」することは出来ても、彼女のヨリ私的な日記・ノートの文面 までをも事細かに参照することは出来ない。すなわち直子という他者の人格的闇部を直にまさぐるために「日記や書簡の類に至るまで、隅から隅まで読んでみる」(小林秀雄「読書について」)ことは出来ない。『こころ』の先生が「記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて来たのです」(下・五十五)と述べ、言葉通 り、殉死直前に青年(私)へ自分の内面を赤裸々に明かす長文の手紙を送付したのとは反対に、直子は、生前の唯一の遺言として「本当にいつまでも私のことを忘れないでいてくれる?」(一章)と超越論的に依頼=命令したにも拘らず、ワタナベが彼女の内面 を「研究」することを拒絶し、その可能性を生前に厳密に封殺し、抹殺する。彼女が強いたこのアンチノミー(矛盾)が、ワタナベの手記の記述と構造を、不可避に二重拘束的な空中分解へと追いやる。実際ワタナベの手記は、三七歳の現在時の「僕」がルフトハンザ航空機内でビートルズの「ノルウェイの森」を聴いて過去の記憶を喚起される場面 から始まるが、以下、手記の内容が再びこの語り手の現在時へと戻って来ることはなく、全体として見れば、それは尻切れトンボというか、構造的な破綻の印象をぬ ぐえないのである――漱石の『こころ』が、手記を執筆する青年(私)の現在時の状況を直接は書き記しえなかったように。

 そして『ノルウェイの森』のワタナベが、直子の唐突な(だが必然的な)死と消滅のあと、ぎりぎりの位 置で突き当ったのは――「我々は生きていたし、生きつづけることだけを考えなくてはならなかった」(十一章)という受動的な決意の言葉に在るように――、〈生き延びる〉ということばが指し示す〈責任〉の感覚だった。いきのびていくこと、このタイプの言葉自体は、村上の作品世界の中では既に親しい。でも『ノルウェイの森』の認識には最早「少なくとも僕は生き残った。良いインディアンが死んだインディアンだけだとしても、僕はやはり生き延びねばならなかったのだ。何のために? 伝説を石の壁に向って語り伝えるために? まさか」(『羊をめぐる冒険』5章-3)というタイプの自虐やアイロニーの気配は見られない。彼はただ愚直にそれを語り続けるだけだ。『ノルウェイの森』はおそらくこの地平で、「自殺する人々の物語」から「他者に自殺され続ける人々の小説」へとその力点をわずかに変えて読むことができる。
 構造についてふりかえってみよう。
 『ノルウェイの森』の物語は、現在三十七歳の「僕」(ワタナベ)が、約十八年前(一九六八年五月から一九七〇年十月の期間)に経験したある恋愛の過程を回顧し言葉にしていく、という構造を取る。ワタナベは自殺した直子に関する過去の記憶を想起し、書き留めることを試みるが、このことはもともと彼が生前の直子から依頼された遺言――死者からの超越論的な命令――でもあった。この場合、先にふれた直子の「本当にいつまでも私のことを忘れないでいてくれる?」という言葉は、『こころ』の先生が語り手の青年へとくりかえし依頼した「記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです」という言葉の正確な反復を意味する。もちろん、過去の記憶を回顧してゆく「僕」の叙述には、いくつものレティサンス(故意の言い落とし)や無意識的抑圧の痕跡が――深い「井戸」たちのように――多孔的に刻まれている。しかし、自らの記憶のその不確実さ(闇)を誰よりも自覚しているのも彼自身なのだ。「それでも記憶は確実に遠ざかっていくし、僕はあまりに多くのことをすでに忘れてしまった。こうして記憶を辿りながら文章を書いていると、僕はときどきひどく不安な気持になってしまう。ひょっとして自分はいちばん肝心な部分の記憶を失ってしまっているんじゃないかとふと思うからだ。僕の体の中に記憶の辺土〔リンボ〕とでも呼ぶべき暗い場所があって、大事な記憶は全部そこにつもってやわらかい泥と化してしまっているのではあるまいか、と」(一章)。人は「文章という不完全な容器」の中に「不完全な記憶や不完全な想い」しか盛ることが出来ない。書くということは、この避けがたい断絶や欠落や錯誤を絶え間なく繰り込みつつ何事かを書き続けることである。
 これはまだ直子が生きている頃、ワタナベは、死んだキズキへ語りかけるように決意していた、「おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。(略)俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなけりゃならないんだよ」。「生」と「死」は二元的に対立するものなのかも知れない。しかし、「いきのびること」と「消えること」の関係はそれ程単純なもの、はっきりと区別 されるもの、明快でわかりやすいものとはいえない。冒頭近くの「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」(強調原文)という一見わかりやすい言葉もこのことと関わる。死者たちの死後の世界をなお生きのびざるをえなかった者が強いられるのは、生きのびることと消えること、そして〈書く〉ことの間の「一種謎めいた関係」(デリダ)を具体的に問うことである。死んでいった人々(キズキ/直子/ハツミさん)の記憶に関する「僕」の〈証言=手記〉としての『ノルウェイの森』の物語は、すみずみまで、この「生き延びること」へ向かう不可思議な意志に満たされている。自分が与えられたこの日常の日々を淡々と生き延び続けることと死者の記憶を証言し続けることはわかちがたい関係の中に置かれ、その位 置に、微光のような〈責任〉の感覚がほのかにうかびあがる。かれらの人間関係は、その極点で、そんな儚くアクチュアルな認識を確かにひらいている。

(つづく)