大杉重男/知の不良債権――批評閉塞の現状 大杉重男(おおすぎ・しげお) 1965年生 批評 本稿は「早稲田文学」2001年1月号に掲載された同論文の再録です。原稿は、早稲田大学文芸専修秋季講演会用草稿をもとに、大幅な加筆、修正を施したものです。
初めにお断りしたいと思うのは、私は話すのが得意ではないということです。私はこれまで何度か座談会や対談の席に出ましたが、そこではいつも思い通
りに話せなかったし、相手の言葉に合わせるために思っていることと反対のこと、あるいは書いたこととは矛盾することを言ったりして来ました。後で速記を直せばいいと言っても、相手があることなので、限界があります。編集者の検閲ももちろんあります。それは書いたものについてもありますが、その度合いがもっと露骨になるのが話したものの記録においてです。正直私は座談会や対談の場に引っ張り出されるたびに自分が損をしていると感じて来ました。顔写
真なども載せないで、ただ単に書いているだけのゴーストライター的存在だったらどれほど良いだろうと何度思ったか知れません。今こうして話しているのも、大急ぎで事前に書いた原稿を読み上げているだけなのです。これはたぶん批評家としての私の致命的な欠陥であり、私は根本的に批評家失格であると自分でも認めざるをえません。なぜなら批評家とは現代において何より現前的な存在であり、シンポジウムや対談のような他者との対話がなされる一回的な現場において知性の劇を演じる役者であることを期待されているように見えるからです。この意味では私はシンポジウムなどで観客を喜ばせるパフォーマンスはできそうにない。いずれにしろ私は福田和也や東浩紀のような売れる批評家ではないので、幸いそのような機会に呼ばれることもありません。そのことは良いことでも悪いことでもないわけで、私はただ書きたいものを書いていたい。もっともこのような言い方をすると、すぐに実存主義的だとか批判されます。実際かつて早稲田文学の座談会で東さんに直接そう言われたことがありますが、それは一面
において正しいにしても、全般に物が売れなくなっている現在において、根性主義的に売れることに「萌えて」みても私にとって何か得なことがあるとは思えない。東さんはデッドストックされ死蔵されることを断固として拒否すると言っていて、それは東さんのキャラクターの問題として当然だとは思いますが、それは私のキャラクターではない。私はアルシーヴに死蔵されたものに目を向けるのが好きだし、そのために自分自身が死蔵空間に入り込んでしまってもいいところがある。もちろん本当に入り込んでしまったとしたら、ここでこうして話していることもありえないわけですが。
そうしたことは措くとしても、批評を売るとは原理的にどういうことなのか、と私はしばしば考えることがあります。批評の対象となる作品、小説なり映画なり演劇なりアニメなり音楽なりといったものは、売れなければならない商品であるわけですが、批評そのものは商品に値段をつけるものであるにしろ、むしろ値をつけるからこそそれ自体は商品であってはならない部分がある。実際最も一般
的に言って、批評とは世界において何が価値があり何が価値がないのかを判定するべき公平無私の趣味判断の基準を提示することであるわけで、もちろん今は小林秀雄のように「無私」を公言できる批評家はいませんが、批評家の意志と関係なく、批評の権利の行使自体が言外にそのことを前提として要請する。実際批評の原型の一つは、骨董の鑑定にあります。これは何年か前に「図書新聞」のコラム的な時評でちょっと書いたことがあるのですが、幸田露伴が『骨董』という小説の中で面
白いことを言っています。本来ガラクタの死物に過ぎない骨董は、鑑定されその価値を判定されることによって、「不換紙幣」として流通
する。この値の付け方が正当であれば、その批評家はそれこそ千利休のように「ホントに無慾でしかも煉金術を真に能くした神仙」ということになるし、値が不当であれば信用秩序は崩壊し、その骨董は「西郷が出したり大隈が出したりした不換紙幣」のように「直に価値が低くな」る。もっとも骨董の価値を決定する科学的根拠など存在しませんが、だからこそ価値の信用を無根拠に保証するものとしての批評が必要とされるのです。露伴がそこで強調していたのは批評家自身は無欲で無報酬であり、ただ本物を見分けることができたという自己満足が報酬であるということだったと思います。これはもちろんあまりにナイーヴで偽善的ですらある批評観とも言えますが、しかしそれが批評を批評たらしめている超越論的、先験的条件であることも確かです。偽物と分かった掛け軸を一刀両断した小林秀雄の態度は、どのような批評であっても根底にあるものです。
そして私がまず確認したいのは、現在この批評の信用、よってその批評の信用によって運営されて来た価値の秩序が慢性的危機状態にあるという事実です。これは批評主体の内面
ではなく、あくまで批評の読者の側の批評に対する信用の問題です。話を広げればある意味でこの信用危機は近代批評の始まり以来続いているのですが(というよりこの恐慌こそが小林秀雄的批評が成立した理由である)、局所的に見る時それはバブル崩壊以後の現象であると言える。この意味でそれは経済現象の一つの帰結に過ぎないわけであり、世間の景気が良くなればまたニュー・アカデミズムやポストモダンも復活するだろうということになる。そういうことであればここで何も論じるべきことはないのですが、もう少し内在的に考えて見たいところがある。
そこで本題に移りたいのですが、「知の不良債権――批評閉塞の現状」というのが、私の選んだ題目です。不良債権とは言うまでもなく、回収不可能な債権ということです。この比喩はあまり厳密なものではありませんが、現在批評は一種の恐慌状態にあって、身動きのとれない閉塞状態にあるように見えるということを言いたいのです。私はこれからこの閉塞状態はどのような構造を持つのかを、私の能力が許す限りの範囲で検討してみたいと思います。
すなわちそのことを考えるための手がかりとして、私はマルクスが『資本論』の中で論じている貨幣恐慌を理論的モデルとして取り上げます。マルクスによれば、景気が良い時、商品がつつがなく売れている時は貨幣は単なる透明な価値の尺度であり、商品そのものの中に価値が内在しているように見える。ブルジョアジーは商品そのものが貨幣だと考える。ところが恐慌になると、逆にただ貨幣だけが商品であるという転倒が起こり、他の商品は価値を失い、人々は貨幣を求め、貨幣飢饉が起こる。このマルクスの恐慌論は、批評についても応用できるように見えます。先に批評は商品ではなく、商品に値段をつけるものだと言いましたが、それは批評とは商品よりは貨幣に類似するものであるということです。実際通
常の流通秩序においては批評は貨幣と同じく透明な価値尺度に過ぎないわけで、批評なしでも作品それ自体の価値で作品は流通
しているように見える。作品こそ批評であるというわけです。しかし貨幣恐慌というものがあるのだとすれば、変な言葉ですが批評恐慌と呼ぶべきものを考えることもできます。それは作品が内在的価値を失い、批評そのものが作品であるという転倒が起こり、批評飢饉が起こる状態であるわけです。
八〇年代固有の現象として指摘される批評の自立とは、この意味において既に一つの恐慌状態の出現であったと言えると思います。それは知の恐慌、デフレーションであり、知の対象の空洞化です。もちろん他方八〇年代はたとえば文学においては村上春樹や吉本ばななの時代であり、そこでは批評なしでも作品はそれ自体の価値で売れているように見えていたと言える。加藤典洋がカフカから借りて来た「君と世界の戦いでは、世界を支援せよ」という標語は、批評的自意識など必要なく、作品世界そのものの中に批評性を見れば良いというメッセージだった。たとえば村上春樹が広く読まれている以上、個人的に気に入らなくてもそこには何か批評性があるに違いないというわけです。そしてこれは一面
の真理であって、消費社会において批評は価値尺度としてはもはや無用の長物に過ぎないものとなる。そうした中でなおかつ批評的であろうとすれば、批評は逆に価値尺度を消極的に混乱させ、白を黒と言い、黒を白と言うノイズになりかねない。実際批評はノイズであることに消極的なアイデンティティーを見出すようになる。このことはこの時代を代表する批評家である柄谷行人の批評において一目瞭然です。柄谷の批評というものは『日本近代文学の起源』が典型的に示しているように、既成の文学史や思想史のような制度的言説の転倒を暴露することにその魅力があったと言える。それは単に既成の概念が間違っていたということではなくて、真と偽との二項対立を作り出すイデオロギー構造の転倒性そのものが問われていた。これはニーチェ的系譜学を思わせる実践です。よって柄谷は正しい文学史なり思想史はこうであると積極的に提示することはできない。ただ文学史なり思想史なりの超越論的転倒性、先験的転倒性を指摘するだけです。これはすなわち文学史や思想史によって価値づけられて来た文学作品や哲学書の価値秩序を破壊すること、つまり恐慌状態を引き起こすことを意味します。この恐慌への意志は、柄谷自身によっても表明されていたことであり、それは資本主義を揺るがすものとして恐慌を待望したマルクスの姿勢を反復するものであると言える。しかし柄谷はこの恐慌がもたらす半面
の効果についてはあまり自覚的でなかったように見える。
すなわち恐慌においては、一般的な価値システムが機能不全に陥ることの代償として、フェティシズム的な欲望が強化されるということです。経済において商品よりも貨幣を欲しがるという転倒と同じことが、文学や思想のレヴェルでも起こることになる。柄谷の批評文が「マルクスは……と言った」「キルケゴールは……と言った」という文体を取ることはこのことの徴候です。渡部直己が戒厳令的と形容した(もっとも渡部は後にはこの柄谷スクールとでも呼ぶべき知的システムに積極的に参入し、『不敬文学論序説』のような本において戒厳令下の警察長官のような役割を果
すことになるわけですが)この文体は、まさに知における恐慌状態そのものを示していると言える。そこにおいてはマルクスが現実に何を言ったか、キルケゴールが現実に何を言ったかということより、マルクスという名前、キルケゴールという名前の方が重要になり、欲望されている。柄谷の批評を読むと、そこに論じられている対象はどうでも良くなって、羅列される名前だけを読んで満足するという経験を味わうことがよくあります。それは偶然ではなく構造的なものです。というより偶然そのものが構造化されているというべきかもしれません。そしてその経験はとても無駄
を省いたエコノミカルな体験のように見える。柄谷の読者は無駄なことをしなくて済んで得した気持ちになる。たとえば国木田独歩は制度的で、漱石は制度を疑ったといった物語を子守歌のように聞けば、読者は独歩を読む必要がないことを改めて確認し、漱石はやはり偉かったと安心して眠ることができる。しかしそれは実はマルクスが言うところの守銭奴のよろこび、快感であるわけです。そしてこれは柄谷に限られるものではなく、蓮實重彦にしろ吉本隆明にしろ八〇年代をリードした批評家たちは「事件」とか「世界視線」とかそれぞれのレトリックによって同じことをしていたように見える。特にそれを極端にしたのが浅田彰と言っていいでしょう。浅田こそ知の固有名のブランド化を完成した批評家であり、固有名を蒐集してため込む貨幣退蔵者、守銭奴である。浅田はその本を書かない態度も含めて、知の恐慌状態を身体的に体言していたように見えます。この時期批評が対象から自立したと言われるのは、この恐慌状態がもたらした固有名崇拝をその実質としていたということです。
そして経済において恐慌が資本主義を瓦解に導かなかったように、知の恐慌もまた知の制度を解体することはなかった。むしろ八〇年代において恐慌はバブル景気と結びついたのです。経済学の話ばかりしているようですが、日本において真の意味での経済成長は石油ショックで終わったとされる。しかしにもかかわらず実質的な成長がないのに、景気が良いという状態がその後来たわけです。そこではお金が巷に溢れているように見えていたわけですが、それらはすべて本当のお金ではなく借金だっだわけです。そしてそれにはいつか返済期日がやって来る。しかしその期日を引き延ばしつづけることができる限り、繁栄を謳歌することができるわけで、未来の借金はふくらむかもしれないけれど、今が良ければいいというコンセプトで九〇年代になだれこんだわけです。そしてバブルがはじけ、不況が目に見えるものとして現れて来たのですが、知的領域においてもほぼ同じことが起きたと言える。既に述べたように知の恐慌と呼ぶべきものは八〇年代において既に全面
化していたのですが(全共闘運動が終わって石油ショックが起きた七〇年代初めにその起源を見てもいいかもしれません)、その実態が九〇年代になってあらわになった。すなわち八〇年代は、「本物の日本銀行券は贋物だった」という浅田のエッセイが示すように、紙幣は紙切れであるけれども、紙切れであるが故に価値があるものだったのが、九〇年代にゴルフの会員券や株券が紙切れになってしまうと、やはりお金は本物のお金でなければならないということになる。何らかの形でやはり本物でなくてはならないという衝動、本物を求める飢えのようなものが起こって来る。そしてこの恐慌の現前に対して、批評家はそれぞれの態度決定を迫られることになる。
しかしそれは固有名崇拝が衰えるということではなく、むしろますます固有名に執着することにつながったように見えます。マルクス的恐慌においては、貨幣は金銀という物質的な商品形態を身体として持っていなければならないわけで、岩井克人などはそれを批判してそこにマルクスの限界を見ていますが、むしろ貨幣の不透明な物質性にこだわったことにマルクスの単なる経済学者を越えた思想的固有性があったとも言える。経済学上はともかく批評においては批評家は自分自身が物質的身体性を備えた固有名となること、自らが根拠を持った貴金属、オーラを帯びた存在になること、批評の金本位
制で危機に対処するように迫られたように見える。
その一つの方向性は、一九九一年の湾岸戦争における湾岸署名に始まる柄谷行人の政治的アンガージュマンに見て取ることができます。それはアソシエへの参加からNAMの設立にエスカレートして行くわけですが、ここで柄谷は資本的貨幣経済の廃棄という古典的なコミュニズムに回帰するように見える。そこでは貨幣的なものは否定されるわけで、これは固有名的なものの否定でもある。NAMのプログラムにあるくじ引き制は、固有名の消去を制度的に強制するものであると言える。しかしそれは資本主義的貨幣が偽金であって本物の貨幣ではなく、また資本主義的固有名が本当の固有名ではないということに過ぎない。そこでは本物の貨幣や本物の固有名への飢餓が強化されることになる。マルクスは『共産主義者宣言』において「ブルジョア階級は恐慌を、どうやって克服するか? 一方では大量
の生産力を無理に破壊することによって、他方では、新しい市場の獲得と、古い市場のさらに徹底的な搾取によって。結局、それはどういうことを意味するのか? つまり、より全面
的な、より深刻な恐慌を準備し、そしてまた恐慌を予防する手段をいっそう減らしてしまうことである」と述べていますが、結局柄谷はこのブルジョア階級と同じことをしているだけなのではないか。
正直言って私は今の柄谷さんは、晩年のラカンとよく似ているような気がしてなりません。柄谷自身八〇年代に『批評とポストモダン』の中に収められた「密教と顕教」という文章の中で、ラカンがフランス精神分析協会を出てパリ・フロイト派を作ったり、さらにそれを解散して「フロイトの大義」という組織を作ったりといった行動に出たことについて、その公式に示された顕教的部分の下にある密教的な部分が分からないと批判的にコメントしていましたが、『NAM原理』という本に現れているのも顕教的な部分だけであって、それとは別
の密教的な部分があるのではないかという印象が拭えない。たとえばNAMのプログラムには「議会による国家権力の獲得とその行使を志向しない」が故に「NAMは『非暴力的』である」とありますが、ゼネストが暴力であるように、議会制に対するサボタージュもまた十分暴力的なのではないか。もっとも「非暴力的」という言葉には鍵括弧
が括ってあるわけですが、その意味合いは分かる人にしか分からないもののように見える。私は別
に暴力を肯定しているのではないのですが、暴力というものをそんなに簡単に自分の外部に追放できるのなら、中上健次など読む必要はないでしょう。ナイーヴさを承知で非暴力という言葉を使う態度は、現在のカルスタ的な正義ともつながって、単に時代に流されているだけという気がする。この密教と顕教の二重性は、柄谷だけではなく九〇年代の批評的言説の特質であったように見えます。すなわち八〇年代において柄谷と相補的な役割を果
した蓮實重彦は、九〇年代においては「東京大学」という官僚制度に根拠を求めることになる。これは柄谷と対照的に見えますが、資本制の外部に根拠を求めた点において、コミュニズムに行くか官僚制に行くかというのは見かけほど大きな差異ではない。その意味で相補的な構造は変わっていなくて、『知性のために』といった講演集で権威がなくなったが故に敢えて東大の権威を擁護してみたり、「知の三部作」のような徹底的に愚鈍さを排除し聡明な凡庸さを志向した教科書作りを容認するその態度は、カルスタ的な学者が輩出するための物質的基盤作りをしたと言える。資本制の外部というものは結局大学、つまり究極的には国家的制度しかないというのが蓮實のフローベール的リアリズムであって、それは私を含めて多くの批評家が大学関係者であるという事実によって裏付けられる。このことに目をつぶることはできません。
これに対して資本制の内部で、知の不良債権に対処する方向を考えることもできる。福田和也はこの文脈において重要な存在と言えるかもしれない。福田という人は保守主義、ファシズムを売りにして出て来たのであり、ファシズムもまた資本主義を越える運動であるのかもしれないのですが、理想はともかく福田が現実にしているのはむしろ借金をしている人間にさらに借金をさせ多重債務に陥らせて、その過程でマージンを取ることであるように見える。それは不良債権を完全な破産まで導き、破産管財人として知そのものを放棄したたき売りにすることです。今年福田は『作家の値うち』という本を出しましたが、この本で何より注目されるのは、内容以前にそこで取り上げた作家・作品の選択基準が入手可能な作品が六冊以上というものであるということです。つまり福田が審判を下す以前に市場がまず審判を下し、市場が作品の価値を判断した後で福田が意気揚々と大げさな身振りで価値判断をするという構造にこの本はなっている。だからこの本の唯一のメッセージは、ある程度売れた作品、市場に残った作品だけが批評の対象になりうるということ、市場価値の至上性の主張以外のものではない。福田がこの本の序で「さまざまな評価が提出されることによって、文学の価値にたいする理解と論議は深まり、小説の読者層は耕され、著者・編集者は緊張を強いられ、日本文芸の可能性は広がると信じている」と書いていますが、もちろんこの本は、それと逆の機能を果
たすのに役立つだけでしょう。福田の登場以後、文学の価値についての論議は消滅し、小説の読者層は切り崩され、著者・編集者は緊張感から解放され、日本文芸の可能性は狭まったのです。福田の批評家としての役割は、純文学が市場原理に完全に呑み込まれるに当たって、その摩擦を和らげ、ソフトランディングさせる道化師のそれであると言える。福田の批評は読んで見れば分かるようにほとんど内容がないので論評しようがないのですが、それは福田の批評の本質が本に現れている顕教的な部分ではなく、座談会や対談での当意即妙の受け答えとか、酒場での編集者や作家との緊張感のない密教的なやりとりにあるということなのです。
資本制の内部で知の不良債権を処理しようとしているように見える批評家として、もう一人東浩紀を挙げることができます。東は、柄谷や浅田が九〇年代ほとんど仕事をせず、他人の○×的論評に終始していたと批判し、自分は実質的な仕事をすると言っていて、それは福田と違って知を放棄するのではなく、あくまで知の生産性を上げること、新しい情報を生み出し続けることによって不良債権を償却しようとしていると一応は評価することができる。これはある意味では非常に頼もしい態度でありますが、たとえば批評家の池田雄一が「読書人」のコラムで、東のことを「純粋エコノミーの思想家」と形容しているのは、半分しか当たっていないと思います。というのも東は節約と同じくらい浪費する批評家であるからです。池田は、東が多重人格やアニメオタクにこだわることを「時代状況に対する、知識人の譲歩の必要性」を示すものと受け取っていますが、このあいだ東さんのホームページを覗いて見たら、早速自分は譲歩なんてしていないという反論が載っていました。実際「譲歩」という言葉は節約的で、倫理的・禁欲的発想であるのですが、それは東から見れば八〇年代的なシラケた態度であり、否定すべきイロニーである。東は決してアニメに対してシニカルなのではなく、積極的にアニメが好きで「萌えて」いるのです。そしてそれは知的エネルギーの莫大な浪費でもある。この浪費は節約の反動であり、また逆に新たな節約をうながすことになる。節約と浪費のポトラッチ的循環が、東の批評のリズムを作っていると言えるでしょう。ただ外から見て節約の部分が目立つとすれば、それは節約の部分が顕教的であり、浪費の部分が密教的であるということです。同じ「読書人」のインタヴューで東は「東浩紀が面
白いという時に、「東浩紀」という人間のパフォーマンスが面白いのではだめなんです。仕事そのものが、人間への興味など抜きで面
白くなくてはならない」と顕教的に述べていますが、他方インターネットという密教的領域では缶
バッジのキャラクター名を公募して「メメット」くんとか名付けてはしゃいでいる。両方を知ってしまうと人間的興味抜きに東の書いたものを読むことはできません。また別
に人間と仕事を無理して分離しなくてもいいじゃないか、面白ければそれでいいという気もする。東の批評は一方では固有名批判でありながら、他方では固有名へのフェティシズム的欲望をあおるものでもある。東という人はドストエフスキー的分裂をはらんだ人であって、シベリア流刑にでもなれば大物になれるかもしれないのですが、不良債権の償却にならないと思われる。といって節約だけしているのでは浅田彰的な八〇年代シニシズムへの逆戻りです。
インターネットのホームページの掲示板を眺めていると、しばしば「掲示板荒らし」と言われる書き込みを見ることがあります。それは仲間内で和気藹々としている掲示板に雰囲気を壊す書き込みをすることであり、そのために掲示板が閉鎖されたり、誰も書き込まなくなったりすることもある。必ずしも意図的に荒らすつもりはなくても、言葉の行き違いから荒らし化することもあり、そのことも含めて荒らしとは究極的に無関心な他者と言える。つまり柄谷的他者概念を徹底すると掲示板荒らしに行き着くような気がするわけで、しかもそれは柄谷の他者論の理論的盲点であると思われる。特に「コピペ」と呼ばれるオートマティック化した荒らしは、非人間的な機械的他者そのものです。東さんのホームページに掲示板がないのも荒らしに遭うのを避けるためでしょう。しかし東が文壇や論壇など日本の言論業界や知識人の閉鎖性を批判する時の言葉は、荒らし的な性質を帯びる。自分が荒らされるのはかなわないが、他人を荒らすのは気持ちいいし必要である。もっともこれは東に限らず、今ちょっと異なる領域で話をしようとしたら、和気藹々とするか荒らすかのどちらかの二項対立的選択を迫られることになる。これはインターネット以前から潜在的に存在していたにしろ、インターネットが明らかにしたコミュニケーションの構造です。文芸評論家というのも、文芸雑誌という掲示板の掲示板荒らしに過ぎないのかもしれない。間違って文芸時評などやるとそうしたことも実感できます。今私が「群像」で連載している「アンチ漱石」も、漱石という掲示板を荒らしているだけなのかもしれない。公平に考えて私がそれが和気藹々よりましとも思いませんが、問題はこの二項対立のどちらを選ぶかではなく、別
のコミュニケーションのあり方を考えることであるはずです。
以上非常に足早にかついい加減に、八〇年代以降の批評の流れを概観してみました。そこにおいて、知の不良債権をどう処理するかという問題を私は仮に設定したのですが、その処理方法として資本制の外部で処理するか内部で処理するかの二つの道があり、外部で処理する場合はコミュニズム的実践か国家的官僚制に頼るかの選択、内部で処理する場合は知を放棄するか知を再生産するかの選択があることを見て来ました。そしてどの選択も決定的なものではなく、批評の閉塞状況を打破するには不十分に見えるというのが、私の印象です。それでは他にどのような方向がありえるのかということになりますが、正直言って私は積極的な見通
しを示すことはできません。私は預言者ではない。というより預言者的ふるまいをすることはその予言を担保にしてまた借金をすることであり、不良債権を増やすことにしか貢献しないと思われる。
「批評閉塞の現状」とは、もちろん石川啄木の「時代閉塞の現状」のもじりであるわけですが、啄木は、時代閉塞という「敵」と戦うためには「美」でも「善」でもなく「必要」を基準としなければならないと述べている。これは坂口安吾が「日本文化史観」で、「必要」なものだけが美しいと書いたことに通
じますが、現在の私たちにとっての必要とは一体何でしょう。たとえば「必要」とは「享楽」と言い換えることのできるものでしょうか。あるいは両者は対立するものであるかもしれない。私たちは享楽におぼれているが故に必要なものを見失っているのかもしれない。しかし享楽のない必要とは「労働」を要請するものであるかもしれないけれど、今更労働価値説を復活できるものでしょうか。柄谷行人の「批評とポスト・モダン」は、ある意味で「時代閉塞の現状」の八〇年代版だったと言えますが、そこでは柄谷は「ポスト・モダンの思想家や文学者は、実はありもしない標的を撃とうとしている」と批判し、「日本の自然=生成」を敵として指定していた。しかし現在の酒井直樹や小森陽一などのポスコロ・カルスタ的言説はまさしく柄谷の言う日本的なものを批判しているように見えるのですが、何かありもしない標的を撃っている感じしか起らない。というかそこにはもはや危機の感覚はなくて、批評の生じる余地のない無色透明な文章がひたすら連なっているように思われるのです。小森氏は最近『漱石研究』で現代の日本人の九五パーセントは夏目漱石と同じ考えをもっているなどという与太を飛ばしていますが、それを言うなら現在の日本人の九五パーセントは漱石を含めた日本文学に関心を持っていない事実を確認するべきでしょう。この馬鹿になればなるほどカリスマになっていくムラ社会の構造こそ「日本の自然=生成」そのものであり、批評が撃つべき敵であると思われます。
繰り返して言えば、恐慌とは商品が無価値となり、貨幣そのものがフェティシズム的に欲望される状況であり、更に言えば、紙幣が紙切れとなり、貴金属そのものの物質性が露呈する状況です。この時、無価値となった商品の価値を回復しようとするのは反動的だし所詮無理でもある。しかし無価値となった商品のもはや商品ではない「作品」としての物質性に注目することは一つの道かもしれない。それは決してテクストに再び過剰な交換価値、商品価値を与えるのではない、そのようなやりかたでテクストを読むことです。問題はそこにどのような享楽、あるいは快がありうるかということですが、少なくとも私が今一番希望を持っているのはこの方向です。