市川真人/「合評」を読んで、そのほか


 昨年の夏ぼくは、「『重力01』の合評をやるけれど、来ない?」という大杉さんからの電話に「小説として出した以上は、すでに書いたものについての補足や主張を口頭でしたいとは思わない」と返事をしました。批評や論文なら、できるかぎりはそうすべきだし、創作についても「02」に加わる前提でなら自己批評もふくめて必要だと思うけれど、その時点で「02」への不参加を表明していた以上は、その権利も目的もないと考えたからです。批判にも期待にも、作品で応じるのでなければ意味がない。鎌田さんの好意と要望から「重力」MLには残っていますが、ぼくなりのけじめとして、合評の記録も公表までは読まないようにしていました。ただ、あたらしくなった「重力」のサイトを訪れ、合評の一部と大澤さんからの感想を読んで、そこで語られあるいは書かれたことのうち「01」で発表した作品そのものへの言及ではないいくつかの点について、返答を書きたくなりました。この短文が本誌とWEBに掲載されているのは、『重力02』編集会議の厚意のあらわれだと、あらかじめ謝辞を記します。

1)沖さんの「ページ上部の目次を見ると、9章まであるように書いてありますが、では残りの8章はどこに書くつもりだったのか。例えば「重力」が09まで続くとして、そこに書こうとしていたのか」という発言についてですが、「01」掲載の討議資料にも書いたとおり、自作もふくめて連載なり連作の全部がかならずしも雑誌媒体に載るべきと思わないし、そのありかた自体を問うべきと考えています。とりわけ「水道橋革命計画」でめざすことは紙媒体のみでは困難ですから(その一部でも、と模索しながらも機能させられないまま「01」の〆切を迎えたのは、ぼくの責任です。たとえばページ上部のタグにしても、序章しかなければ、たしかに「目次」にしか見えないでしょう)、最初からそうは考えていません。単独で論じられるべきだという指摘は、そのとおりだと思います。
2)大杉さんの「以前市川さんに直接批判したら、自分の小説はヌーヴォー・ロマンだからヌーヴォー・ロマンを読んでいない人には理解できないんだみたいことを言われたことがあった」という部分ですが、ぼくは「ヌーヴォー・ロマンの翻訳を読んだことが前提にあるから、できれば一連の作品を読んだうえで、読んでほしい」という意味のことを言ったのだと思います。小説翻訳の意義ともかかわりますが、大杉さんの言うとおり、他言語の作品を全的に理解しようとすれば、原書で読むしかないはずです(もっと言えば、自国語以外の小説は、原語を使う土地で長期間生活してニュアンスを体得しなければ、ごく一部分しか読みとれないと思う)。しかし、作品の構造(の一部)、メカニズムを読むことはできる。「ヌーヴォー・ロマン」と呼ばれる一連の小説の構造を、自分が余すところなく読めているとは思いませんが、そのことと原語の問題は、イコールではないと思います。
3)いくぶん「序」そのものとかかわってしまうかもしれませんが、最後は大澤さんの「テンノウ」記述への指摘についてです。いま書きつつある部分、あるいはこのさき書かれる予定の結末まで、期待されるようなものは出てきません。もちろん「01」で結末までをあらわせなかった書き手の責任ですが、ぼくが提起したい問題は、あの「重組」(の読まれかた)にこそあります。

***
 近況をすこし書きます。『重力01』の経験とその後の時間を経て、ぼくは自分のやりたいことを、より明確に意識するようになりました。前記の点ともかかわるけれど、「小説」のメカニズム、システムそのものについて考えています。
 たとえば、さいきん出た岩波の『21世紀文学の創造』というアンソロジーのなかで、平野啓一郎氏が「追憶」という、小説と詩のあわいにあるような作品を発表しています。『葬送』の著者のことですから、そこには幾多の古典からの引用やオマージュが隠されているのかもしれませんが、それとは別に「文字作品」としての構造をみれば、行われている試みは次のようなものです。
 最初の見開きページでは、ところどころ空白の(というか、空白のところどころに文字が配置されている)詩文があります。ページをめくると、次の見開きにも同じように、しかし最初のそれとは違う位置に文字が散らされている。もういちど、さらにもういちど……めくるたびに違う配列で文字が並び、それぞれの見開きには、いくぶんつっかえながらも独立した詩文と読めるものが記されます。最後の見開きとなるページには、これまでのページに蒔かれていたすべての文字が、こんどは一度に、つまり空白のまったくない状態で、並べられている。ぽつぽつと零されてきた言葉たちが、一篇の散文詩のようなものとして、あらわれるわけです。まだ読んでいないひとは、トレーシング・ペーパーに印刷された詩片を重ね、下から強い光をあてた状態を想像してください。
 それぞれのの詩文と長い散文詩のあいだだけでなく、詩文どうしもかかわりを持たされていればテクストとしてもよりおもしろいとか、同じような試みであっても七七年にビュトールが制作した「ドン・ファンのための素材」−−単語が縦10×横3の格子状に並べられ、格子の何カ所かは(ランダムに)くり抜かれているような、手帳ほどの大きさの紙片が二十枚で1セットになっている。読み手がそのうち二枚のカードを上下に重ね、縦横に平行に動かすことで、無数の組みあわせの文章を作ることができる−−に、はるかに圧倒されるのはたしかです。けれど、ここで書きたいのは平野氏の作品への評価ではありません。
 両者を比較したときあきらかなのは、旧来の「小説」という概念あるいは「紙/印刷」メディアの性質に対する、とりわけ可読性や「わかりやすさ」の閾値の設定によって、形態や実験性の違いがあらわれているということです。平野氏の作品は、ある意味で「読みやすく、捉えやすく実験的」であり、ビュトールのそれは「読みづらく、捉えづらく実験的」です。そして、ある方向での小説の可能性とは、その閾値をどこに設定するかに、かかってくる。今後は、、「紙」というメディアの制約をどれだけ利用するか、破るかにもかかわってくるでしょう。たとえばジョイスやパンジェは、あくまで「本」の形態のなかで、極北ともいえる試みをしたはずです。
 いくぶん禁を破って書かずにはいられなくなってしまいましたが、「水道橋革命計画」でぼくが試みているのは、平野氏のそれよりはたぶん複雑で、ビュトールのそれよりはやわらかなものです。でも、その両者の間にすらも、はるかな空間が広がっている。「物語」や「文体」といった軸もふくめれば、途方にくれるようなはてしなさです。そのどこに座標点をとればよいのか、「序」を書いた段階でも、それ以降も、まだ確信が持てずにいます。ロブ=グリエが「シネ・ロマン」に、ビュトールが「手書き本」にむかったように、印刷をどうやって離れるか、あるいはどこで共存しどこで抗うか、なにと組むのか。昨年の秋に「Tokyo Culture Cafe」としておこなった文学のライヴ・イベントもその過程のひとつですし、原作つきの小説とか、ストーリーとシステム構築と執筆とが分担されるような共作を想定しもします(その意味でも、「小説家」とか「編集者」といった職業分類とは別のありかたを模索しています)。
 それらの思考や試行の結果として生まれるものは、「小説」とはなかなか(あるいはもはや)呼ばれないものかもしれない。しかし、それが言葉を手段(のひとつ)として形成されるものである以上、あるいは名前を出した何人かの書き手がたしかな「小説」の歴史を踏まえてこそ存在するとおり、「重力n号」の参加者もふくめた「小説」の読み手をも惹きつけられればよいし、そうでなければいけないのでしょう(ただ、中島さんが語っていた「文芸誌だったら」という一節には、どうしても賛成できません。この文言は、対象を「文芸誌」の域内で測るように見せてしまうし、ひいては批評自体をも「文芸誌的」なものにしてしまうのではないでしょうか。もちろん「01」そのものが「文芸誌的」だったかどうかや、「文芸誌」間にも当然あるはずの相違をわれわれがどれだけ認知しどれだけ否認しているかも、問われるべきとは思います)。
「01」の時点でも、同じ山を違った方角から登っている感じがしましたが、いまは、意識してその道程を見据えています。その意味で『重力01』での経験も、合評で作品についてなされた批判も(とりわけ「リズム」や「耳」の指摘には、まさに耳が痛かった)、うけとめ生かしていきたい。鎌田さんが励ましてくれた「03」や「04」ではないかもしれないけれど、いずれまたなんらかのかたちで(そのときの「重力」参加者を納得させるだけのなにかとともに)かかわれればよいと思っています。