大杉重男/大澤さんへの応答
大澤信亮さんが私の「森有礼の弔鐘―『小説家の起源』補遺」について提示してくれた疑問について、私の価値基準を明確にするため応答したいと思います。疑問が箇条書きになっているので、それに即して答えます。
1 語呂合わせの乱用は意図的なものです。そしてそれが説明を曖昧化しているとは思わない。有礼が幽霊を除去することに失敗した以上、以後の日本語にも幽霊はつきまとい続けている。当然この私が使っている日本語にも幽霊はつきまとっている。私はそのことに自覚的でありたかった。もし私の論旨が曖昧さを残すとすれば、それは語呂合わせのようなレトリックを使ったからではなく、私が幽霊をどうするべきなのか態度を決めていないことによるのだと思います。漱石について言えば、私は「僧籍」「送籍」のような語呂合わせが、「幽霊」が「有礼」を脅かすようには、漱石という固有名を脅かすことのないことを批判しました。同様に私の語呂合わせの乱用が、日本語に違和をもたらすよりは融和的なものをもたらしているように読者に受け取られるとすれば、それは私が漱石化しているということであり、確かに私の失敗です。しかし「森有礼の弔鐘」はあくまでアンチ漱石的に書かれていると私自身は思っている。また私は語呂合わせのパフォーマンスについてデリダを暗黙に参照していること(デリダを正しく読んでいるとは思いませんが、デリダを正しく読むとはどういうことでしょう。デリダは巧拙はともかく「読む」のではなく「演じる」しかないテクストだと思います)も認めます。たとえば東浩紀はデリダのテクストからレトリックを排除しコンスタティヴなメッセージを暴力的に引き出したとされていますが、私はデリダのレトリカルなパフォーマンスにもっと積極的な意味を見たい。そうしないと社会学へのロゴス中心主義的な傾斜を生むだけです。東だけではなく、高橋哲哉のようなデリダの研究者であり、優秀な翻訳者である人が、にもかかわらず脱構築的実践を最も頑強に拒絶し、テクストを見ないで想像的な正義の言説に回帰していることは徴候的です。たとえば高橋氏は「国家の法に服従する責任」と「法的に国民の一人であることから生じる責任」とを区別し、前者を否定して後者を肯定するわけですが(『戦後責任論』)、このような区別は当然脱構築の試練を受けるべきです。正義は脱構築できないとデリダは言いますが、デリダの正義とは決して現前するメッセージではないと私は思う。ただしこのような脱構築の再導入は、フランス文学系の詩的な文学趣味に陥るのではなく、散文的でなければならないと思う。実際私はこのような語呂合せを肯定的に語っているわけではなく、むしろ批判的に使っているつもりです。
2 戦争の責任を誰かに取らせることがどうして最悪の無責任なのか、もう少し詳しく説明してください。いずれにしても、有礼の理念ではなく伊藤の理念が大日本帝国憲法の中核になった以上、現実の天皇の戦争責任を問うことが無意味なのはその通りです。というより、現実の天皇の戦争責任を問うことがどうして無効なのか、それを起源に遡行して分析することが私の目的だったと言うべきでしょう。
3 確かに私が問題にした天皇主義(ネイション)と国家主義(ステイト)の結婚の起源とそれが離婚する可能性というテーマは、既成のものであり、それについて私はオリジナリティを主張するつもりはありません。ただそのテーマを近代文学会的なカルチュラルスタディーズのように公式主義的な紋切り型に押し込めるのではなく、もっと繊細に考えてみることが私の意図でした。そしてそこにおいて私が国家主義の肩を持っているように見えるとしたら、それは便宜的なものです。おそらく天皇主義的な無主体性に対抗しうる主体性として国家主義以外のもの、国家主義的な主体性に対抗しうる反主体性として天皇主義以外のものが同時に見いだされるべきなのでしょうが、私にはまだそれが具体的に見えません。有礼に対する私の態度の曖昧さもそこにあります。白か黒か明瞭だと思った時には私はためらいなく裁断します。間違った時には訂正します。しかし洞察が及ばない時には保留するだけです。いずれにしろ「森有礼の弔鐘」は、結果として「日本語をめぐる幽霊話」をなぞっているだけで、それに対する徹底的な批評は結局なされないまま終わっている点で未完であると思っています。ただ「森有礼の弔鐘」が国家の問題を捨象しているとは思わない。国家の問題は固有名の問題と密接に結びつくと思う。
4 大澤さんの言う「対象の感触」がどのようなものであるのかは分かりません。大澤さんにとって批評とは究極的には人生論であり、熱い人生を読者に語りかけるのが批評であるのでしょうか。そうだとすれば私の批評は失格かもしれない。ただ私は「小説家の起源」に収めた秋声論では徹底的に帰納的に文学テクストの感触をつかもうとつとめたつもりです。しかし私はその結果として盲目になったような気がした。だから対象の感触を犠牲にしても、暴力的であることを引き受け「既成の問題」をなぞることになっても、明視を獲得したくなった。私が「アンチ漱石」を書き、「小説家の起源」に対する「補遺」として「森有礼の弔鐘」を書いた目的はそこにあります。そこでは私は最初から図式的かつ演繹的に、大澤さんの言葉で言えば「整然と」書くことを意図しました。言わば「小説家の起源」は下から上へ上昇しようとし、「森有礼の弔鐘」は上から下へ下降しようとしたのですが、前者は下にとどまったままであり、後者は上にとどまったままであるのかもしれない。「アンチ漱石」は上に行ったり下に行ったりしているけれど、その飛躍につながりはないと批判されるかもしれない。その意味で大澤さんの批判を率直に受け入れます。ただ私自身にとってはこの論文を書くことは、様々な発見と解けない疑問とに出会うことでした。私が自分の論文に不満があるとすれば、それは結局有礼の評伝から離陸できずに終わってしまっているところです。有礼は物書きではなく政治家であり、よって感触を確かめるべきテクスト的身体を持っていない。それはおそらく日本語そのものの分析、「簡易英語」ならぬ「簡易日本語」としての「言文一致」の分析によって補完されるべきものと思えます。