編者序文(刊行の経緯)(全文掲載)

 「重力」編集会議より、ブックレット「LEFTALONE 構想と批判」をお届けする。ここには、明石書店刊「レフト・アローン」書籍版に未収録のスガ秀実と私の対談「小ブル急進主義は原理たりうるか」、および私の追記原稿「途中退場者の感想――LEFTALONE批判」が掲載されている。いずれも読み応えある痛快な「作品」であることは保証する。だが、その前に一連の経緯を説明したい。
 ヴィデオ・ドキュメンタリー「LEFT ALONE」のレイトロードショー公開が決定した時点で、明石書店はこれに連動する形で書籍版「レフト・アローン」の刊行を計画した。担当編集者の大村智は、スガと私の対談パート(これは映画で省略された個所も含んでいる)のゲラの手入れに加えて、書籍版への追記、すなわち映画「LEFT ALONE」についての現在の率直な感想を執筆するよう私に依頼してきた。正直言って、編集サイドの段取りがやや悪く十分な時間がなかったが、私は依頼を了承し、原稿は締切ぎりぎりに完成した。だが、ここで別の問題が生じた。文章の要点は、映画「LEFT ALONE」の欠陥がNAM問題の隠蔽にあるのを指摘することにあり、これに関してスガ秀実や柄谷行人の言動を批判した個所を、明石書店側がこれはまずい、改稿せよ、と要求してきたのである【注1】。
 この件では、印刷を延期してまでの数日に及ぶ交渉があったが内容は簡単に書く。交渉過程で明確になったのは、最終的な編集責任の所在が自らにあるのを書店側が承認したこと、にもかかわらず、彼らが他の書き手の意向を恐れる仕方でしか、その「責任」を貫かなかったことだ。恐れていない、と言うのは自由だが、彼らが特に柄谷行人に過剰に配慮し、追記掲載がもたらす結果を危惧して私に自主規制を求めてきた事実はどうもがいても消せない。結局、明石書店側は柄谷に私の原稿を読ませ、柄谷がこれを掲載する場合は自分(柄谷)の対談パートの出版を中止するよう要求してきたことを理由に、依頼原稿の掲載却下を選択した。この決定を受け、私は逆にスガと自分の対談パートの掲載を拒否することで、書籍版への関与の一切から降りた【注2】。
 こうした事態は文学の領域において目新しくも何ともないが、それが生じるには二つの原因が必要だ。その第一は、自分への批判がいかに正当でも許さない、柄谷行人の陰湿な私怨と自己絶対化である。どれだけ精神分析的に抵抗しようが(そんなに立派なものではないが)、事実はあくまで事実であり、柄谷は自分のどす黒い手の汚れを回避することは絶対にできない。仮にスガ以下パシリ達を私の酷評から守るつもりだとしても、その試みがつねに自己保身にちゃっかりつながっているのはどういうことだ。終っているのが近代文学ではなく、自分自身にすぎないのを柄谷は強く銘記すべきだ。だがそれだけではない。私との交渉過程で明言した以上、柄谷がどうあれ編集サイドもその責任を同程度に問われるべきである。たとえば、「天網恢恢疎にして漏らさず」を柄谷に学習させるため、私の文章を彼に事前に読ませるのは構わない。だが、そのためには柄谷の反応と依頼相手(鎌田)の原稿とをあくまで公平に扱う、という条件が前提になる。事実に反した誹謗中傷があれば別だが、私の文章にそれはない。明石書店は柄谷の異論を併記することで問題解決を図ることもできたはずだ。我々一人一人が事なかれ主義の横行を断ち切れば、いかなる有名人の粗暴さもそれだけで通ることは決してない。私が「京都オフライン会議議事録・西部柄谷論争の公開」(http://www.q-project.org/)で詳述した通り、Q‐NAM問題も結局は両者の相互依存的な癒着が原因なのだ。



 だが話を先に進めよう。数年前なら、原稿却下に対抗しての対談掲載拒否までが私の対応の限界だった。だが、「重力」で若干の経験を積んだ今回は違う。交渉が長びくにつれ、最悪の場合でもこの追記は「重力」編集会議で出せるし出す義務がある、そのための「重力」ではないか、と私は考え、決着後直ちにブックレットの準備に着手した。時間がなく、上記二原稿以外には、既発表の井土論やスガ論を加筆収録するのが限界だったが【注3】、発刊に際して一つ意識的にやったことがある。それは、「LEFT ALONE」の中心的なスタッフ、スガ秀実、井土紀州、吉岡文平の三人に、今回の出来事への感想を書くよう寄稿を依頼したことだ。
 別に助けがほしかったわけではないが、逆に彼らに意地悪をした積りもない。この依頼は純粋に疑問の表現である。追記の本来の標的は映画そのものにあり、「柄谷の怨恨」や「明石書店の弱腰」を主題にしていたわけではない。後者は私の戦いであり、自分で経緯を書けばそれで済む。知りたいのはその先の事柄なのだ。彼らは映画と書籍は別個のプロジェクトである、という形式的な区別にこだわっていた。だが、この距離のとり方自体が巧妙な自己欺瞞=問題回避ではなかったか。たとえば、私の追記が、「LEFT ALONE」に「映像」として組み込まれるのは可能だったか。不可能である。映画と書籍に同じ排除の性質があるのは、これを考えただけでわかるはずだ。両者の距離云々はどうでもよく、映画の内部で、撮影主体と対象がいかに曖昧な「距離」を維持してしまったか、それが私の主題なのだ。
 私は、三氏に追記原稿へのコメントを依頼することで、この「距離」の性質を明るみにしようとした。比喩的に言えば、このブックレットで一本の記録映画を撮ろうとした。寄稿依頼はいわばスガ、井土、吉岡への出演交渉である。「LEFT ALONE」が「68年革命」を主題にしたのに対し、本書はまさに「LEFT ALONE」そのもの、正確には「LEFT ALONEの暗い部分」を主題にする。だが、そこでは撮影する側とされる側が決して緊張を失うことなく、互いが互いに追いこみをかけ続けてゆく。



 残念ながら、この試みが十分達成されたとは言えない。実務に多忙な吉岡はともかく、スガ秀実からも私の追記への寄稿はもらえなかったからだ(但し、スガはこれだけぼろくそに書かれてもとにかく対談の掲載を了承したし、そもそも書籍版刊行の時点で「自分への批判は構わない」と言ったそうだ。公平のため、付け加える)。ただ一人、井土紀州が私の問いに接して「末吉」を寄稿してきた。井土の思考の盲点はこの文章でも明白だが【注4】、ここでは素直に彼の度胸に敬礼する。さらに、元Q-project副代表の穂積一平から鋭い感想が届いたのでそれも併載した。穂積が「03」に、今後Q-NAM問題を考察する上での決定的な文献、「NAMに関する暫定的メモ」を発表予定であることも付け加えておく。
 「01」や「02」同様、今回のブックレットの発刊にも沢山の温かい援助を得た。「02」以来世話になりっぱなしの菊池忠敬さんや、編集作業に協力してくれた熊大や早大の若い友人達に深く感謝したい。何より、諸事情で名前を出せない一人の知人の助力がなければ、本書をこれだけの短期間で刊行するのは不可能だった。この場を借りて心からのお礼を述べる。だが、我々はやはり実名記載が当然で、追うべき時には自らの責任を公的に負う社会的慣習を日頃から追求すべきではないのか。――「重力」編集会議は、小さな権力を行使したがる醜怪な物書きと同時に、自主検閲や自主規制を促す暗黙の空気をも標的とするだろう。ブックレット「LEFTALONE 構想と批判」は、「空気」の同質性を破壊し、多事争論の気風を真に創設する第一歩である。それは同時に、来るべき「重力03」へのプロローグでもある。


2005年2月
鎌田哲哉



注1】なお、トラブル以後の折角の時間を生かして私は追記を改稿したが、柄谷行人を批判した個所は全く変えていない。正確には一個所増やした。

注2】この前後の事情は書籍版「LEFT ALONE」でも明らかにされている。だが、この付記自体が私の主張で辛くも掲載されたものであり、主張全てが通ったわけではないのを明記したい。「しかし、鎌田哲哉氏の対談については収録を断念した。これは、氏が編集部の依頼に応じて書いた追記が他の対談者を批判する内容を含むため、編集部が本書掲載は不適当と最終的に判断したところ、鎌田氏から対談の収録自体を辞退する、という申し出があったためである」(同書8頁)。ここでは、「他の対談者」が柄谷行人であり、結局柄谷の意志が編集部の判断を左右した事実には全く触れられていない。

注3】この内、「sagi times 2・1/2」(責任編集宮岡秀行)に掲載された「井土紀州の映画について」は、初出当時「だが」と「だから」を間違える(バカ!)等、十数個所に及ぶ校正ミスがあり、私の真意を到底正確に反映したものではない。加筆も含めた今回の修正稿が完全版である。ところで、このミスの事後処理の件で呆れたのは、一言謝れば済む所を、宮岡と校正担当の蛭田葵が互いに責任を転嫁して事態をうやむやにしたことである。宮岡は次号で訂正を出すと約束したがこれは実行されず、かなり後に彼は修正版なるものを自分が主宰するWEB上で勝手に公開した。他人の著作権を無視して何の連絡も許可もとらず、「だが」と「だから」の誤植は相変わらずの「修正版」なるものを私は当然認めなかった。「社畜」はだめだが「インディペンデント」の編集者なら何でもいいわけでは全くなく、自分がいいことをしているから何でも許される、と感ずる点ではある種の自称「インディペンデント」ははるかに悪質である。宮岡秀行の実例は、自立できずに他人のふんどしで相撲をとるのが大好きな、「ディペンデント」の末路を典型的に示すものである(ついでにもう一言。校正担当の蛭田という老人は、後のQ‐NAM紛争において、柄谷の意を体してQの代表や副代表を散々誹謗中傷した男である。この依存の傾向はすでに校正ミスにも現れており、今回、私が「探」と書いた個所を彼がわざわざ「探」に変えた個所に気づいて大笑いさせられた。人間は、ここまで他人に精神的に依存しながら長生きする必要があるのだろうか。――おい、蛭田の爺さんよ、あんたはQ‐NAM問題で少しは懲りたのかい。まだお灸の量が足りないのかい。あんたら満腹ガキのなれの果ての行く末など、俺の知ったことではない。みかけは穏やかで、他人に親切にふるまいながら、その親切さが直ちにねちっこい押し付けがましさに転化する、その悪癖からあんたが手を切る時は来ないだろう。それだけならまだいい。仮にあんたらが自分の過去の痣を化粧でごまかし、全てをなかったことにして対抗運動だの散種だのと周囲をまた恫喝し始めるなら、あんたらの頭上にも再び言葉のハンマーが降り注ぐことになる。絶対に忘れるな。そのことを、あんたの周囲にうじゃうじゃいるモッブどもにもしっかり伝えてくれ。最後に、俺はあんたらの親分みたいに、組織的に動いて他人の言動を封殺したことは一度もないよ。文句があれば、個人の力で俺に公然と言い返してみろ。それができない根性無しだから、あんたら日本人は俺に永久に馬鹿にされるんだ)。

注4】ここで井土の指摘に答える。まず、私は井土とスガの無意識的な癒着を指摘したのであり、井土が意識的に「組織名称を消すための編集」をやった、ましてそれを「パイロット版から完成版に至る過程でやった」とは一切言っていない(時期的にも、パイロット版の制作時点ですでにNAMの先行きは見えていた)。次に、井土は「LEFT ALONE」中にNAMの名称への言及個所があるのを具体的に示したが、この点は私の聞き落としと注意不足を率直に認める。だが、井土自身が続けて言う通り、問題はこの事実が真のノイズに値するのか、それとも「重箱の隅をつつく」指摘にすぎないか、にかかっている。残念ながら答えは後者だ。その証拠は書籍版の204頁にあり、そこでは井土が引いたスガ秀実の発言が次のように修正されている。(映画)「例えば早稲田なんかでさあ、まあNAMの関本君なんかと一緒にやってんだけど……まあ運動としてはさあ、集会とかさあ……まあデモなんかたってデモの仕方を学生知らないからデモも出来ないんですけど……まあ学校とぶつかったりね。そうするとやっぱりこう楽しいじゃないですか、それは」→(書籍)「しかし、僕なんかも、例えば早稲田なんかで運動とか集会とかしていると、まあ最近の学生はデモの仕方も知らないからデモもできないんですけど、そうするとやっぱり楽しいじゃないですか。」
 ここでは、「歴史の偽造」がいついかにして生じるかが見事に示されている。だが、ここで映画と書籍は違う、という形式論に立てこもるべきではないのだ。私が言うのは、数個所削ってもどうにもならない程度で、井土が真正面からNAMの問題を扱わなかったのはなぜか、という問いだからだ。逆に言えば、映画が当たりさわりのない程度でしかNAMに触れていないがゆえに、スガ秀実(ないし編集部)は安心してこの個所を削除できただろう。どう取り繕っても映画と書籍は共犯的であり、この事実が膨大な注を含む書籍版「LEFT ALONE」に、(「スーパーフリー」や「だめ連」はあっても)都合よく「NAM」の注だけがない事態をもたらしたのだ。「黒い駒を全てひっくり返し、盤面を白一色にし得たと確信した瞬間に、たった一つだけ裏返すことの出来ない黒い駒が残る、そういうことがあるはずだ。そして、その裏返ることのなかった一つの黒が、残りの盤面を占有する白を見つめ返す」。井土のこのレトリックは、極めて巧みで魅力的である。だが問題は、まるで「盤面を白一色」にするのが私であって、スガや井土でないかのような言い方そのものにある。これは逆だ。スガの発言が「盤面」を文字通り抜きの「白一色」にしようとし、しかも幸か不幸かそれに無事成功したことはたった今見た通りだ。他方、全てを「白一色」に塗りつぶす気は私には皆無だ。私がこのブックレットを出すのは、その逆に「たった一つだけ裏返すことの出来ない黒い駒」=「トロツキー」の存在を、スガ秀実や井土紀州に、あるいは全ての白く塗りたる墓に突きつけるためである。『百年の絶唱』の言葉を借りれば、「重力」をやろうがやめようが、井土紀州はこの問いからは「ニゲラレナイ」。小難しいことを言う気はない。いい映画を撮ってくれ。「LEFT ALONE」がだめでも、「蒼ざめたる馬」三部作にリティー・パニュ「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち」の強度を与えてくれ。秩序に反逆する者をとらえる最悪の罠の問題をこれ以上回避しないでくれ。それで納得する。