「重力02」刊行記念ライブトーク/1968年の「重力」(1)


青山ブックセンター みなさまお待たせ致しました。只今より、「重力02」刊行記念のライブトークを、「1968年の「重力」」と題して開催させて頂きます。
 本日は松本圭二さんがご参加のご予定でしたけれども、急遽欠席ということになりまして、代わりに大杉重男さん、大澤信亮さん、沖公祐さんがご参加くださっています。

鎌田 最初に松本さんの欠席について説明します。彼は福岡に住んでいて仕事が忙しい、というのが理由ですが、より根本的にはこれからの「重力」の展開について、松本さんが「03」以降の参加を現時点では止めたい、という判断を下した結果こうなりました。それはここ数日の議論で出てきた暫定的な結論なので、松本さんの話を聴くのをすごく楽しみにしてお見えになった方も多いと思うんですが、告知が間に合わなかったことを、「重力」編集会議全体として心からお詫びしたいと思います。申し訳ありません。
 それと、今日はとりあえず井土さんの司会で、1時間後に休憩を入れる形で進行させて頂きたいと思います。

井土 自己紹介をした方がいいですよね。僕は映画をやっております井土と言います。「01」からの参加者です。よろしくお願します。「02」では編集責任者を務めました。
 司会なんてあんまり得意じゃないですけど、僕が一番喋ることもないだろうから、適当にやってくれということで引き受けました。
 「02」にどう関わったかという話をしようということで、まず僕から喋ります。
 そもそも、秀実さんと「レフト・アローン」という映画を作ろうという話をしたのが2000年の8月で、鎌田さんに誘われて「重力」に参加する前だった。「レフト・アローン」の撮影を進めていく過程で、鎌田さんにも「レフト・アローン」に出演していただいたりして、その流れで「01」に参加したという経緯があります。そのときに鎌田さんと話をして、一本の映画を作るように、ぱっと集まって一冊の本を作って、またバラバラになればいいという趣旨だったので気軽に引き受けたんですけど、まさか2号目までやるとは思ってなかった。そうしたら2号でみんな止めるという話に1号の終りぐらいの段階でなったので、だったら「レフト・アローン」と何か連動する形で一冊作れないかなと思って、「重力」という名前を借りてやってみますということで始めたのが、僕が責任編集をやることになったきっかけです。

 「レフト・アローン」、出来てます。

井土 「レフト・アローン」はまだまだ編集中なんですが、宣伝しちゃうと、5月の10日の16時から、アテネ・フランセで上映します(*)。それはプレミア上映で、今後映画館とかでかかることがあっても90分ぐらいの作品にせざるを得ないと思うんですが、下手をするとこの日だけの特別版として――まあ何回かは上映するとは思うんですが――2時間30分ぐらいの長尺版を上映します。よろしかったら来て下さい。

 みなさんが来ていいの?

井土 ええ、もちろん料金はいただきますけど。
 で、あんまり「重力」内部の話に終始すると議論が閉じるんじゃないかという指摘がさんからあったので、その辺を開いていただく意味でも、秀実さんから発言をお願いしたいと思います。

 えっと、です。僕だけダントツに歳をとっちゃって非常に申し訳ないですけれども。まあ、なぜ「重力」に参加したかというと、それは井土さんが「レフト・アローン」を作るから、「重力」でも68年特集をやるんでお前も手伝えという形で、「02」だけということで関わったわけです。
 それよりも、「web重力」にも書いたこと〔「文芸誌が排出した粗大ゴミは、いかなる意味で「粗大ゴミ」なのか―これは『喩え』ではない」〕で、お読みになった方もいらっしゃるかと思いますけど、僕は今のジャーナリズムに対して色々な不信感を持っておりまして、そういう中で「重力」という雑誌のお手伝い、コミットをする意義があるんじゃないかと思ったわけです。で、「02」に関わったわけですが、具体的にどういうことなのか、「web重力」に書いてあることについても後から言うかもしれませんが、もうちょっと別の話題で言ってみたいと思います。
 たとえば今、非常に売れている本で、マイケル・ハートとアントニオ・ネグリの『帝国』という本がありまして、みなさんもお読みになったりお買いになったりしてるかもしれませんけど、まずあの本の表紙を見ておかしいと思うんですね。なぜアントニオ・ネグリが大きい活字でドーンと出てて、マイケル・ハートが小さいのか。Harvard University Press版だと、ハート&ネグリになってるわけですね、ABC順だから。もちろん同じ大きさの活字になってる。これはおそらく、マイケル・ハートという人は、日本では一冊『ドゥルーズの思想』というのが法政大学出版局から出ておりますが、あまり知られてない。ネグリの方が知られてるから、ネグリ本だ、という感じで出してるんだと思いますけど、それはやっぱり詐術ですよね。実際、ネグリ本だと思うと、この本はちょっと間違うんじゃないかと思うところがある。
 それはともかく、本の紹介のされ方ですね。9・11以降、あるいは現在のアメリカ、イギリス、オーストラリアによるイラク攻撃以降、ジャーナリズムに「帝国」という言葉が頻出して、本屋さんなんかも「帝国」というキャッチを使って売ってるんだと思いますけども、それはまず、この本からきているわけですね。岩波の「世界」などという雑誌は、「帝国の戦争に反対する」とかいう特集を2号連続――今度出る号もそうらしいんですが――でやってる。さらに奇怪なことに、「諸君!」5月号も「帝国の戦争」という特集なんですね。もう右も左も同じコンセプトでやっている。
 ところが、『帝国』という本を読むと、「帝国」というのは戦争をしないことになってるわけです。戦争というのは帝国主義の段階で、つまりあの本では国家間戦争を戦争というのであって、「帝国」の時代――つまり1968年以降ですが――にあるのは警察行為だけだということになる。そういうふうに言うと、『帝国』という本は、アメリカのイラク攻撃をむしろ合理化する方に有利な本でもあるわけですね。別にハート&ネグリがイラク攻撃に賛成しているとは思わないけども、どちらかと言えば、アメリカのイラク攻撃を論理付けるのに都合のいい本なわけです。それはあの本を読めばわかる。
 ところがですね、『帝国』を訳したひとをはじめとして、日本のジャーナリズムはあの本をあたかも反米の書であるかのごとく、あるいは「帝国」という言葉を反米的な言葉であるかのごとく――筑紫哲也や久米宏をはじめ、高名な政治学者までが――流布させているわけです。そういう中で色々な言説を組み立てている。全くこれはインチキな話で、議論にもならない。そういう例が幾らでもあるわけですよね。
 そういう中で、とにかくまともなことを言うためには、多少しんどくても自分でメディアを作らなきゃいけないなということは前から思っておりまして、その一環として「重力」にコミットしてみたんです。まあ後からまた追々話をしたいと思うんですけれども。

井土 大杉重男さん、お願いします。

大杉 大杉です。僕は文芸評論家という肩書で、1993年ぐらいからものを書きはじめたんですが、僕が「重力」に参加した動機は、前に「重力」の座談会の中でも喋りましたけど、そんなに主体的な理由があったわけではない。鎌田さんの「『重力』の前提」に対してもあまり深く考えないで、前提は共有できないけれども、それについて議論するという前提は共有しましょうという条件で入ったわけです。
 ただですね、文芸雑誌というものが、93年も相当ひどい状態だったんでしょうけれども、そこから10年経った今の時点で壊滅的な状況になっている。中島一夫さんがweb重力に寄せた文章〔「市川真人氏に反論する」〕の中で使っている言葉を借りるなら、文学の「商業的価値」が「芸術的価値」を圧倒している。しかもそれは文学に商業的価値がなくなって来たから、あるいはマンガとか他の部門が売れなくなって来たため文学にも商業的価値が求められるようになったからです。この状況は昭和初めと比較できるかもしれません。ただ昭和初めにおいて芸術的価値を脅かしたのは政治的価値であったわけで、その時は文学は国家が政治を弾圧したおかげで生き延びることができた。今回はもっと根底的な試練かも知れません。実際擁護に値するどのような芸術的価値が文学にあるのかが問われている。そしてそうした問いを展開できる場所は現在の文芸誌にはない。その意味で「重力」というメディアは、非常に僕にとっては参加する意味があった。最初に書いた森有礼についての論文も、「重力」に載せることができて非常によかったと思っています。
 しかし前提にコミットしないまま「重力」に僕が参加していることに問題がないわけではない。去年、ここ〔青山ブックセンター本店〕で「重力01」の刊行を記念して同じようなシンポジウムを開きました。そのとき「重力」メンバーだけじゃなくて、大塚英志と浅田彰と福田和也の3人をゲストに呼んで議論をしたんですが、僕の「重力」における曖昧な立場がゲストたちの集中砲火に遭って、特に福田和也からは、要するに僕は文芸雑誌に寄生している代わりに鎌田に寄生してるだけじゃないかというような批判があった。それに対して鎌田さんが僕にちょっと気を使って、そんなことはないと言ってくれたわけですが、僕も鎌田さんに気を使われるのは嫌なので〔鎌田笑〕、自分はその通り鎌田さんに寄生していると認めたわけです。そしたら福田和也が、それなら批評家やめろよとか言い出して、訳のわからない話になったんですが。福田和也は自分が批評家であるのかどうか真剣に自問したことがない癖に人について何か言う資格はないとは思うんですが、まあ少なくともですね、文芸雑誌に寄生するよりは鎌田に寄生する方がマシだった(笑)。
 それはともかくとして、寄生という言葉もいろいろな意味があるわけで、本当はそれをもっと厳密に考えなければいけない。鎌田は経済的自立なしに精神的自立はないと言うわけですが、経済的な意味では別に僕は鎌田さんに寄生してはいないわけで、むしろ僕の方が金を持ってるわけです。

鎌田 貯金が700万もある(笑)。

大杉 鎌田さんは借金して「重力」に追加出資しているからね。

鎌田 その話はいいよ(笑)。

大杉 その意味では寄生してないわけですが、雑誌としての求心力ですね、いろんな人に原稿依頼をして出版社などと交渉するという求心力においてはやっぱり鎌田さんが、主導的であったわけで、結局僕はそれに乗っていったということがあるわけです。そのことは認めますけれども。
 それにも関わらず僕が「02」をやろうと思ったのはやっぱりやりたいことがあったからで、それが「02」に載った僕の翻訳です。別に僕が語学ができることを証明したかったからではなくて、語学なんかできなくても翻訳はできるということを示したかったわけですね。もう一つ言うと、いわゆる翻訳ってものが、どんなふうに制度的に作られているのか。著作権の問題にしてもそうなんですが、そういうものを無視してフーコーだのデリダだのと言っても結局なんの意味もないだろうと、それを示したかったわけです。
 そしてこの翻訳について自己批評する中に「68年革命」についても批判的な気持ちになって来た。まあ「重力02」の座談会等を読んでもらえれば判りますが、さんに対しては一貫して批判ばっかりやってます。かなりさんには嫌がられてるような……。

 いやいやそんなことないよ。

大杉 そう言えば、大塚英志が「新現実」という雑誌を出しましたが、その編集後記で、「新現実」が本屋に並んだ時に「気をつけて周囲を見回すと『enTAXI』という雑誌と『重力』という雑誌が並んでいる。あるいは彼らは全く望まないかもしれないが、これに『早稲田文学』と『わしズム』を加えて、ぼくは「なんとなくひとまとまり」だと思っている」と書いていた。でも僕が実際に幾つかの本屋でちょっと見てみた限りでは(青山ブックセンターは見ていませんが)、「新現実」と「重力」が並んでる光景はどこにもありませんでした。「重力」は、先ほどさんが『帝国』の話を長々とされましたけど、まさしく『帝国』とか、そういうものと同じ棚に並べられてるわけですね。

 へえ、そうなんだ。

大杉 池袋のリブロはそうでした。それが結局本屋の選択というか、こちらの意志とは関係なしに本屋が選別をしていく一つの過程であるわけですね。本屋では「enTAXI」と「重力」と「新現実」を共通の場において読者に提供しようという発想はない。その意味では大塚英志さんのああいう図式は、それこそ文壇とか、そういう狭い所にしか通用しない言説だろうと思います。
 しかもその中でも「重力」はあんまり雑誌扱いされなくて、本扱いのような形になってる。それはちょっと残念ではあるんですが、「01」と比べれば、「02」は遥かにうまく行った雑誌じゃないかなと思います。僕の翻訳については、校正もちゃんとやらなかったので、誤植が相当あってがっかりしてますけども。それはともかく、内容的には自信があります。
 そこで改めて、僕自身のことを振り返って考えると、やっぱり寄生するという問題をこれ以上避けることはできない。あまり鎌田さんと一緒にやっていくのも問題じゃないかと思えてきたことがあって、僕は「03」については参加しないということを宣言したいと思います。
 「02」には鎌田さんの有島武郎論がありますが、その中で「宣言一つ」以降の有島の評論について触れられて、有島はその中で、要するに、自分は第四階級にはなれないということをずっと言い続けていた。ブルジョアジーのくせに第四階級のようなフリをして無政府主義的な運動をやっていくのは、私生子に過ぎない。自分は私生子にはならないということで、有島は自分から無政府主義者を分離したわけです。鎌田さんのあの論文の趣旨では、きっとその無政府主義者というのはNAMとかだめ連の連中なんでしょうけども……

鎌田 (笑)いやそんなことないですよ、内在的にやってます。

大杉 僕からみると鎌田さんは完全に第四階級の人ですが、そうであればなおさら、僕も有島に倣って、「重力」の私生児のようなあり方、「重力」に寄生するようなあり方というのは止めたいと思います。そういう意味で「重力03」に参加しないということです。
長くなりましたけど、大体それがいま僕の言いたいことです。

井土 沖さん、お願いします。

 経済学をやっております沖です。どうぞよろしく。
 どういう形で「重力」に関わるようになったかという話がこれまで続いてきたので、僕も一応、そういう話を最初にしてみたいと思います。
 僕は、大杉さんやさんなんかとは参加する動機が違っていて、「02」の中身の方から入って行ったところがあると思います。というのは、読んでいただければ判ると思いますけれども、「02」の企画の一つの大きな柱として、68年についてのさんの史論〔『革命的な、あまりに革命的な』(作品社、近刊)〕や、「レフト・アローン」という井土さんが撮られた映画をめぐる特集があるんですね。その絡みで、68年当時のマルクス経済学、特に宇野理論や世界資本主義論に関する議論が必要だということで、「重力」参加者の方から誘われたのがきっかけです。ですから、他のメンバーよりも受動的な参加の仕方なんですね。

 俺も受動的だよ。

 (笑)そうかもしれませんが、大杉さんやさんのように、ジャーナリズムでも文壇でもいいでしょうけど、そういう制度上の問題を踏まえた上で、「重力」のような形式の雑誌を作っていくことの意味を考えていたわけではない。今もおそらく、正確には理解してないんだと思いますけれど。
 ただ、そういう形で、やや受動的に参加していく中でだんだん判ってきた面もある。先ほどさんや大杉さんが言っていたことは、どうやって自分の書いたもの、言説を読み手に届けるかということですね。大杉さんには自分の書く場所がどんどんなくなっていく、だから、言葉がそもそも届かなくなるのではないかという危機感がある。さんは、届くかもしれないけれども正しく届いていないのではないか、間違って届いてしまうのではないかというあたりを問題にされてるんだと思います。僕自身は、こうした形式的な問題に興味を持って参加したわけではないのですが、自分で書いたものを自分の手で届けようとした場合に、必然的にそこに思い至らざるを得なかった。
 ただ、問題の所在が徐々に判ってくるにしたがって、「重力」が現時点で採っている方法ではダメなのではないかと思うようになった。そうした疑問を、一昨日、文章にしたんですけれども、それはウェブで発表すると思いますので、そちらを見て頂ければと思います。
 次号の「重力」に僕が参加するかどうか分かりませんが、とりあえず「重力」のメンバーと共通の問題点について話せる土俵は作ることができたかなとは思っています。

井土 大澤さん、お願いします。

大澤 大澤です。今日は来てくれてありがとうございました。僕はあまり話すことを持っていないんですけど、話せることを話したいと思います。
 僕が「重力」に参加したのは、小説を載せるという目的だったんです。小説は、けっこう長い間書いていたんですよ。新人賞とかに出していたんです。新人賞は一年に基本的に一回ですよね。そのために全部の力を費やして、それが落ちることもあったし、二次を通過したり一次を通過したりということをくり返しているうちに、うんざりしていたというのが正直なところです。で、うんざりしてたんだけど、まあ書いてくしかないだろうなとはずっと思っていて、あるきっかけで、鎌田さんにお会いしたんですね。僕は鎌田さんの批評はすごい、素晴らしいと思っていたから、読んでくれとお願いしたら、快諾して頂いたので送ったんです。それが「01」の出る年の夏ぐらいだったと思う。まあどうなのかなと思ってたら、書き直すという条件付きで、使えるよという話を聞いて。
 その時点では僕は「重力01」に期待してたんですね。新しい試みだし、信頼している批評家が始めたことだしと思っていた。でも出てきたものを見たら、全然面白くなかった。これはどういうことなのだろう、という意識から「02」に関わっていきました。作品の相互批評が全くないんじゃないかというのをまず感じたので、それが大事なんだということを言うために合評を提案したんだけど。これは後の話にもなってくると思いますけど、実は僕も、このメンバーで「重力」をやることはないだろうと思います。その理由というのは、原理的な問題はいくつかあるんですけれども、こういう形で空間を作って行っても、自分の求める新しい何かは絶対に掴めないと思ったんですね。それだけとりあえず報告しておきます。

井土 鎌田さん、お願いします。

鎌田 なんか、あの……。

 お通夜みたいになっちゃったね。〔会場笑〕

鎌田 殺伐とした話ですね。でもこの際だから、「02」の広告を兼ねて感想を言いますが、まず表紙がすごくいいし、紙の質も良くなり、貧乏くさくなくなったんじゃないでしょうか(笑)。多少は第四階級から這い上がってきたと思います。まあしかし、そんなことはどうでもいいです。
 確かに、僕ら自身にも一人一人色んな疑問があり、読んでる人にも疑問を感じてる人は多いと思いますが、それは今回の特集のテーマと関係する気がします。68年革命というものを選んだ時に、それが本当に革命だったのか。そうではない、革命だと思っているだけの自己欺瞞でしかなかったのか。そういう問題がずっと、特に松本さんとさん、それから大杉さんとさんの緊張として示されていた。僕はそれに対して言いたいことを極力言ってるんですが、雑誌を出すという観点から、この特集でやることに賛成した事実は消せません。
 それで、井土紀州はやはり映画監督ですから、パワーはものすごい。井土さんを親分にして、その下働きをするのはやりやすいんです。その点は進化があったんだけど、しかしそこで68年革命の持つ弱点が、「重力」自体の弱点としても現れてきてる面があると思うんです。そこは僕も疑問に感じるところです。
 具体的に皆さんに見てほしいのは、討議もさることながらブックガイドですね。これは井土さんの執念の作品で、特にマイナーな雑誌の書影とか、あちこち半年近く駆けずり回って見つけてきたものです。彼の情熱がガイドの色んな文章を自然に僕らにも書かせてるんですが、ブックガイドを作るということで、僕らが全体として払わなければならなかった代償みたいなものもどうしても生じてると思うんです。
 具体的に言うと、むやみに詩集の数が多い。本当はそういうことを松本圭二とも話したかった。僕は、自分が一緒にガイドを作る時に、詩集ばかり選ぶ詩人と一緒にやりたくない。なぜかというと……なぜかというと、と言うか、何と言うか、お勉強で別なジャンルから選んでほしいと詩人に望んでるんじゃないんです。自然に内的な理由で、自分に開かれ方が足りないんじゃないか、そうは思えないのか、という疑問があるんです。
 たとえばね、もしもエドガー・ポーと一緒にガイドを作るとしますよ。そうすると、詩作過程の意識化という課題から出発したとしても、その課題が世界全体を意識化するという徹底性に突き詰められるわけだから、推理小説から『ユリイカ』のような宇宙論から何から、全部やらなきゃいけなくなるわけでしょう。そしたらその場合、詩人は、詩だけ選ぶことはしないと思うんですね。全く選ばないか、逆に、すべてのジャンルからガイドを選んでくるか、あるいは詩だけを選ぶにしてもそこに何か別な意味合いが生じてくるか、いずれかだと僕は思います。そういう人と一緒にやりたい、という希望が僕にはある。だけど、実際にガイドをやっていく中で、そうはならなかった。どうしても、「作る」という要請上、「そうせざるを得なかった」という面がある。
 松本さんだけじゃなく、いなくて悪いんだけど稲川方人さんについて言えば、僕は稲川さんが詩人としてものすごく好きです。荒川洋治と対決してる時の稲川さんは輝いている。だけど、稲川さんが一人でガイドを作ったときに、詩だけを選んでしまうあり方にどうしても疑問を感じる。これもお勉強で別なのを選べと言ってるんじゃない、自分の内発的な方法の必然として、詩人が詩以外のジャンルから本を選んでほしい。そうでなかったら、結局その詩人はエセーニンのレベルに留まっちゃうと思います。なにか68革命のようなものがある時、一緒になって騒いで、それが風化したら鳴りを潜めてしまう同伴者詩人の水準に留まってしまうと思う。もちろん松本圭二も稲川さんもそうではない、むしろそのようなものを打倒しようとしてるんだけど、より深い水準では結局そこに呑み込まれているじゃないか、というのが僕の疑問としてありました。
 それで、一緒にやってるうちに……いや、他人のせいにするのは卑怯くさい。僕自身にもそういう面があって、ガイドでいろいろ落としてる本があるんです。たとえばマンガだったら、『アストロ球団』を落としてる。バロン森も好きなんだけど、氏家慎次郎について……氏家って知ってる? 知らないか。彼を論じるのを忘れた。

井土 入れればよかったじゃないですか、なんで落としたんですか。

鎌田 いやだから、忘れるわけよ、それを。そこがだめなとこなんだよ。締切が終わってから、がーんとかショックを受けてる。それと、ずっと好きな当時の本で、田川建三の『原始キリスト教史の一断面』があるでしょう。宗教批判が落ちてるよね、今回のガイドには。

 忘れるんだよね(笑)。

鎌田 それが口惜しいんです。記憶で勝負してる、って自分では思ってるのに、なんで肝心な時にあれを入れられないか。作った時点ではうまくやった気でいるんですよ。『升田将棋勝局集』とかさ、人に聞いて民法の変てこな本とか入れて、自分では開かれている、ちゃんと作った積りでいるのに、一番肝心な、心に温めている問題を扱った本を落としてる。何でかなと思うんです。だから、もう一回そういう自分を変えてきたい。
 それで、起源はやはり、「02」を始める時の大杉さんとの議論にあると思います。大杉さんは、いま言われたように、前提は共有できない、前提を討論するという前提しか自分には共有できないと言って、僕は前提を共有すべきだ、という感じだった。でも二人で議論になった時に、二人ともどうしても「02」を出したかったから、この件についてはこれ以上突き詰めない、ということにしたんですね。本当はそれは、あってはいけない雑誌の発行の仕方だったかもしれない。
 だから、結論的に言うと、僕は「重力」を続けてやりたい。MLで書いていたように、大杉さんにとっては完成した雑誌かもしれないけど、僕にとっては絶対そんなことはない。進行中の雑誌で、まだ不完全なところはたくさんあります。それで、本当はね、松本さんが福岡で「03」をやるなら、俺は西部忠橋本努と一緒に札幌で「04」を、とも思っていたんだけど、もしもそれが無理なら「03」を僕がやってもいい。でも、今の時点では他にちょっとやりたいことがあるんですよ。「重力」出版会議を作って単行本を定期的に出すとか、そういうせこい……せこくないか。

 セコくはないでしょう。

鎌田 雄大な野望がいろいろあるから、すぐに出るかわからないけど、僕は「重力」を頑張って続けたい。忘れてしまうこと、あるいは記憶して持ちこたえてやっていること、色々な力がせめぎ合っていると思うんで、そういう観点から「重力」を読んでくれたら非常に嬉しいと思っています。長くなってすみません。

(つづく)

(2003年4月6日 青山ブックセンター本店カルチャーサロン青山にて)
(構成:長谷川一郎)